変化の玉章 (へんげのたまずさ)
丹後国宮津藩の藩主・京極氏に美しい娘がいた。
ある春の日、娘は侍女を連れて藩内の小さな島へ行き、珍しい景色を楽しんだり春草を摘んだりして寛いでいた。
するとどこからか錦襴の襟の袖なし羽織を着た高貴な小坊主が現れ、娘に結び文を差し出した。
侍女たちは口々にたしなめたが、小坊主は「これを読めば理解出来ます」と言って強引に文を渡し、たちまち姿を消した。
怪しみつつ文を検めると、その内容は文字も美しい高尚な恋文で、娘に対する想いが綴られていた。
ただ送り主の名は書かれておらず、最後に「この想いを叶えなければ恐ろしい目に遭わせる」と書き添えてあった。
皆はうすら寒い気持ちになり、魔除けの呪文を唱えて娘を守りながら、足早に船に乗り込んで島を後にした。
館へ帰った後、両親に島での出来事を話すと、京極氏は「この館の北の森には古い獣が棲み怪事を起こしていると聞く。島の出来事もこの獣の仕業だろう」と語った。
そして屈強な部下に命じ、北の森に向けて蟇目の矢を射させたところ、森の中からドッと大きな笑い声が響き、射た矢が束ねられて投げ返された。
それを見た人々は「これはどうしようもない」と途方に暮れ、矢を射ることを止めた。
その夜から、娘の周りで怪事が起こり始めた。
ある夜は厠に凄まじい悪臭が立ち籠め、近寄ることも出来ず、どれだけ香を焚いても紛れることはなかった。
またある夜はさらに酷く、大量の汚物が床にうずたかく積まれていた。
この有様に館の人々は困り果て、京極氏は「方違いをすれば怪事も収まるのではないか」と考え、新しい御殿を建て、そこに娘を移し選び抜いた精鋭に警護させた。
更に修験者に休む間もなく祈祷をさせ、加持の僧が厳めしい祭壇を据えたところ、一夜、二夜と何も起こらなかった。
だが人々が安心したのも束の間、やがてまた怪事が起こった。
ある時は三人、または五人の侍女たちの髪の毛がより合わされ、網のように固く組まれることがあったが、誰も結ばれていることに気づかなかったという。
怪事が増すにつれ、侍女たちの退職が相次ぎ、遂に宿直の者すら足りなくなる始末だった。
そんなある日、小枝(ささえ)元斉という儒学者が京極氏に「怪事を収める手段は尽きたように思われますが、一つだけ残されています。成功するかわかりませんが、私にお任せ下されば尽力致します」と進言した。
そして元斉は物忌みをして北の森へ向かうと、うやうやしい態度で弓を射かけた無礼を謝罪し、「京極家は武家なので、霊に娘を取られたと噂されることは後世までの恥になります。娘のことを諦めて下さるならば、代わりにどんな願いでも叶えましょう」と丁寧に頼んだ。
すると森の主と思われる者が角髪(みずら)の童子となって現れ、ニッコリと笑い、「この度はそちらの態度に腹を立て数々の怪事を起こしていたが、そこまで謝るのならば許してやろう。特に願い事はないが『踊り』というものが面白いと聞いているので、それを所望する」と答えた。
元斉は急いで館に戻り、京極氏にその件を申し伝えると、館内は生き返ったように喜びに湧いた。
早速、京極氏は領内に命じて踊り手の男女を集め、更に家臣からも若い男を参加させた。
そして風流を尽くした装いの人々が若狭国の境の「えいけいじ野」という広場に集まり、桟敷を架け渡し、霊の座を設えて清め、二十日余りも面白く舞い踊った。
その間の四、五日程は美しい童子が霊の座に見えていたが、その内に姿を消したので、人々はそこで踊りを止めた。
この踊りが通じたのか、以来、娘の周りで怪事は起こらなくなったという。
『万世百物語』巻一「丹州に変化の玉章 付時ならぬ踊興行」より
「娘をくれなきゃ怖い目に遭わすぞ」と匿名の手紙で脅し、拒否されたら嫌がらせをして精神的に追い込むやり口。陰湿だ……。
伝承地:宮津市鶴賀