丹波・丹後の妖怪あつめ

京都府北部(丹波・丹後地域)の怪異妖怪伝承を紹介するブログです。

怪火

龍灯杉

龍灯杉 (りゅうとうすぎ)


慶長五年(1600)九月の夕方、柳原の阿良須(一宮)神社で原因不明の火事が起こった。
するとその夜、宮山にある老杉の上枝から長く光明が放たれた。
これは龍祭りの神(?)が一宮大神を守護しているのだと考え、老杉を“龍灯杉”と呼んで敬った。
節分の夕方に火の光が灯ったこともあり、人々は神の成せる業だと言い合っていた。
だが、龍灯杉は明治三年(1870)八月七日に起こった暴風雨で倒れたため、伐採されてしまったという。

『舞鶴の民話 第四集』「龍燈杉(小倉)」より


*参考資料は「龍灯(燈)」「龍頭」と表記ゆれがあったので、当ブログでは「龍灯」に統一しました。

慶長五年の火事の原因は不明とされていますが、『加佐郡誌』に「慶長五年、福知山城主・小野木重勝が丹後田辺城を包囲した際、阿良須神社に火をかけた」という記録があり、このことから神社が燃えた原因は兵火によるものだったと考えられます。
その後、阿良須神社は田辺城主・細川忠興によって柳原から遷宮され、現在地の小倉に再建されました。

また、阿良須神社が柳原から小倉へ遷宮された時、境内にあった「龍灯の池」という池も一緒に移されました。
長雨や炎天の時にこの池に祈れば神様(一宮大神)がすぐに応じ、雨は止み災難は去るとして厚く信仰されていたそうです。

阿良須神社
小倉の阿良須神社。
元々阿良須神社があった「柳原」は、今の舞鶴市田中(小倉の北)の辺りで、丹波道主命が青葉山の土蜘蛛・陸耳御笠を征伐した時、神奈備の浅香の森(柳原の森)に豊受大神を祀ったことが創始とされています。

阿良須神社本殿
阿良須神社本殿。
境内をぐるりと回ってみましたが、龍灯の池らしきものは見つけられませんでした。
涸れてしまったんでしょうか。

龍灯が灯る木


伝承地:舞鶴市田中(小倉)


大火の玉

大火の玉 (おおひのたま)


明治十三年(1880)三月十八日午前六時、丹後国中郡大野村(京丹後市大宮町)の戸外がにわかに万灯を灯したように明るくなり、火事の煙に似たものが空にかかった。
それは女帯を二筋合わせた程で、湯の煮立つように渦を巻き、色は青く、北東から南の方へ湾曲しているのが見えたという。
しばらくして雷のような音が響き、山野が一斉に震動した。
その時屋外にいた者は、長福寺の裏手から五升樽程の火の玉が昇り、東の方に飛び去るのを見たという。
煙のように見えたのは、この火の玉が飛行した跡だと考えられた。

その二十分後の午前六時二十分、但馬国豊岡(兵庫県豊岡市)では、見開山(三開山)の頂上に黒雲が湧き起こり、その中から周囲およそ八間程の火の玉が舞い出した。
火の玉は金色を帯びて尾を七、八間ばかり引きながら北西の方に二里程飛行した後、三つに分かれて連なり、今度は北東の方へ二里程飛び、やがて薄雲と化した。
その時、雷鳴のような音と激しい地響きが起こり、家々の障子や雨戸がおよそ八分間ガタガタと揺れ動いたという。

更に十分後の午前六時三十分には、近江国坂本村(滋賀県大津市)に直径三尺程の火の玉が東の方から現れたという。
火の玉は琵琶湖の上空をよぎり、虹のような尾を引いて比叡山の西方へ沈んだが、その後、地震のように地面が震動したという。

『日本猟奇史 明治時代篇』「直径三尺ほどの大火の玉が近畿の空を飛ぶ」より


参考資料は大火の玉出現を近江国→但馬国→丹後国の順に書いていますが、当ブログでは時系列順に再編して紹介しました。


伝承地:京丹後市大宮町奥大野他


椎の木の古狸

椎の木の古狸 (しいのきのふるだぬき)


昔、等楽寺と堀越の間の道端に二本の椎の木があった。
そこは化け物が出ると言われており、夜に通ると大入道が立っている、向かい側の松の梢に青白い灯が灯る、赤子の泣き声が聞こえる、椎の木の葉がぱらぱらと鳴って砂が撒かれるなど、度々不思議なことが起こっていた。
日中でも、魚売りが見慣れぬ茶屋の綺麗な番頭に誘われて休憩したところ、いつの間にか茶屋も番頭も消え、荷物の魚が全てなくなっていたということがあった。
これは全てこの辺りに棲む古狸の仕業だと言って、人々は通るのを嫌がっていた。
そんなある日、平谷村の重兵衛という若者が化け物の話を聞き、腰に刀をさして退治に向かった。
そして椎の木まで来ると、その片方に登り、枝に座って化け物が現れるのを待つことにした。
だがいつの間にか眠ってしまい、重兵衛は木の下から自分の名を呼ぶ声で目を覚ました。
既に辺りは暗くなっており、下からは「重兵衛や。母の具合が悪いから帰って来い」という声が聞こえてきた。
重兵衛はいよいよ化け物が出たと思い、「誰が帰るものか。俺のお母は元気でぴんぴんだい」と言って降りようとしなかった。
声はその後も「母の死に目に会いたくないのか」と呼び続けたが、重兵衛は黙って無視していた。
すると遠くから鉦の音と共に葬式の行列が現れ、椎の木の下に墓を建て、灯籠を置いて去って行った。
しばらくして灯籠の灯りが消えたかと思うと、白いものがちらりと見え、それが六尺(約1.8m)もある幽霊になった。
幽霊は髪を振り乱し、目をギロギロと光らせながら、重兵衛のいる枝目がけて軽やかな動きで登ってきた。
そして細い手を伸ばして掴みかかってきたので、重兵衛はすかさず刀を抜いてその手を斬りつけた。
すると幽霊は落下し、そのまま消えてしまった。
夜が明けてから木の下を見ると、大きな古狸が両手を斬られて死んでいた。

重兵衛はその古狸の死体を村ヘ持ち帰り、狸汁にして村の皆に振舞おうとした。
ところが夏だったこともあり、臭いがひどくて食べられず、死体は草原に埋められた。
するとその翌年、古狸を埋めた所から触ると嫌な臭いを出す臭木が生えてきた。
人々は「きっと狸の妄念から生えてきたのだ」と言って、臭木を鎌で刈り取ったが、再び芽を出し、生長して嫌な臭いを放つ白い花を咲かせた。
そして方々に実をまき散らし、山や草原に沢山の臭木を生やしていった。
今も平谷から椎の木の辺りには多くの臭木が生えており、人々に嫌がらせをしているという。

『丹後の民話 第三集 ふるさとのむかしばなし』「古狸とくさ木」より


以前に紹介した“周枳峠の化け物”と同じタイプのお話ですが、こちらは化け物の正体である古狸を退治した後に嫌なエピソードが追加されています。
死してなお臭木を生やして人々に嫌がらせをする狸の執念たるや。
ちなみに重兵衛の出身地の平谷村は、ある大雪の春に起こった雪崩で村人全員が生き埋めになり、村ごと消滅したという伝説があります。切ない。


伝承地:京丹後市弥栄町等楽寺


大きな赤い玉

大きな赤い玉 (おおきなあかいたま)


昔、印内山から時々火の玉が出ると言われていた。
寺山翠という人が子供の頃(昭和初期?)、数人で福知山市街へ芝居を見に行った帰り道の話である。
夜道を歩いて帰り、土村と前田村の境辺りまで来た時、北にある印内山から大きな赤い玉がパッと現れ、東の山の方へ飛んで消えた。
すると、今度はその東の山から赤い玉が出て、元の印内山へ隠れるように消えた。
これは、山に六部(雲水)が埋めてあるからだと言われていた。
また、土村では毎年秋祭の日に村芝居が行われたが、祭が終わって夜になると、狐が芝居の真似をして山が騒がしかったという。

『語りつぐ 福知山老人の知恵』「お仙さん」より


埋められた六部の魂的なものが火の玉となって山から山へ飛び回っていたんでしょうか。


伝承地:福知山市印内


田圃の火の玉

田圃の火の玉 (たんぼのひのたま)


本庄上の藤原国蔵氏が語った話。
昔、本庄上のある家の嫁が子供を産んで死んだ。
嫁は生前、妊娠中でも田植えを休むことが出来ない己の境遇を嘆き、「火の玉か幽霊になって出ちゃる」と恨み言を吐いていた。
すると嫁の死後、田圃の水口に火の玉が出ると噂になった。
その頃、国蔵氏の叔母は本庄宇治の家に嫁いでいたが、ある時、ナガタン打って(*)実家に帰ろうとした。
そして蓑の陰に隠れていたところ、田圃の水口から火の玉が出たという。
叔母を捜しに来た女たちもその火の玉を目撃し、「田圃のところに火の玉が出とる」と言って大騒ぎになった。
叔母は隠れたまま黙って見ていたが、火の玉は一時間程出ていたという。

『京都府伊根町の民話 泉とく子・藤原国蔵の語り』「火の玉」より


(*)「ナガタン(菜切り包丁)打つ」とは、嫁が嫁ぎ先にいるのが耐えられなくなり、実家に逃げ帰ること。一時的なものらしい。


伝承地:伊根町本庄上


狐のおばけ

狐のおばけ (きつねのおばけ)


筒川の菅野集落の入口に不動明王が祀られており、その左に大きな岩山がある。
昔、夜十二時から一時頃になると、その岩山に何十個もの提灯がずらりと一列に並ぶことが何度もあった。
その提灯は“狐のおばけ”だったという。

『宮津の民話 第二集』「タヌキとキツネの世の中」より


伝承地:伊根町菅野


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