貞操桜 (みさおざくら)
昔、桑田郡の小林の里に大工が住んでいた。
大工は阿長(*1)という妻と二人の幼い娘と暮らしていたが、ある年(*2)、江戸で大火事が起こり、仕事を求めて東へ向かった。
だがその後、大工は江戸で別の妻を娶り、音信不通となった。
大工は阿長(*1)という妻と二人の幼い娘と暮らしていたが、ある年(*2)、江戸で大火事が起こり、仕事を求めて東へ向かった。
だがその後、大工は江戸で別の妻を娶り、音信不通となった。
それでも阿長は貞操を守り、娘たちを女手一つで育てながら夫の帰りを待ち続けた。
阿長は夫が大切にしていた桜の木を形見と思い、苦しい生活の中でも毎日世話を怠らなかった。
そして二十年後、無事二人の娘を嫁に送り出し、阿長はこの世を去った。
すると不思議なことに、世話をしていた桜も、阿長の後を追うように枯れてしまった。
人々は「情のない草木でも人の信(まこと)は通じるものだ」と感激し、枯れた桜を“貞操桜”と名づけ讃えたという。
『奇談雑史』巻十「貞操桜の事」より
(*1)書籍によって「てふ(ちょう)」「阿長」と妻の名前に違いが見られたので、今回は「阿長」に統一しました。
(*2)小林天満宮の案内板によると、火事は享保五年(1710)に起こったそうです。
貞操桜(操桜とも)の話は、本文で参考にした『奇談雑史』の他、『新編 桑下漫録』や『京都 丹波・丹後の伝説』などにも見られます。
ちなみに『新編 桑下漫録』には、「江戸に行った阿長の夫が死ぬと同時に桜が枯れた」と書かれており、書籍によって内容に微妙な違いがあったりします。
半ば草に覆われていてわかりづらいですが、左にも「操桜…(以下読めず)」と刻まれた石碑が建っています。旧阿長の碑?
伝承地:亀岡市千代川町小林・小林天満宮

