丹波・丹後の妖怪あつめ

京都府北部(丹波・丹後地域)の怪異妖怪伝承を紹介するブログです。

のま水

のま水 (のまみず)


小原田は平家の残党が拓いた土地だと伝えられている。
家々は不便な高地にあり、風当りを考慮しないで建てられているが、これは外から入って来る者を見張るためだと考えられている。
世が乱れていた頃は、間者が入って来て殺し合いが起こったこともあったという。
小原田の川上で間者を斬り、血を洗ったので、そこの水を飲むと血を吐くと言われている。

『大江町風土記 第2部 くらしと文化』「かくれた人たちがひらいた小原田」より


間者の処刑場だったという渕もあり、そこは「血ヶ渕」と呼ばれたそうです。


伝承地:福知山市大江町小原田


人杖

人杖 (ひとづえ)


谷内から周枳に流れる周枳井溝は、寛文八年(1668)から四年余りを費やして作られた水路である。
だが工事が竣工し通水となった時、三坂境のしょうが鼻(干潮ヶ鼻)までは通じたが、その先は流れなかった。
設計ミスはなく、高低も問題がないのにどうしても水が流れない。
かくなる上は神力に縋るしかないと考え、村人全員を集め、声を揃えて「さあ越せ、さあ越せ」と叫んだ。
すると水は堰を切ったように越し始め、周枳まで流れたという。
それ以来、周枳井溝の水が絶えたことはなく、この出来事は“人杖”と呼ばれ言い伝えられている。

『大宮町誌 本文編』「人杖」より


人杖ってどういう意味なんだろう……?
「杖」は「頼りとするもののたとえ」(『広辞苑』)という意味があるので、人杖=「人の力は頼りになる!」みたいなニュアンスなんでしょうか。

周枳井溝は寛文十二年(1672)に完成した谷内~周枳を流れる田圃用の水路で、幅最大約1.8m、延長4,800mという大規模なものでした。
ですが昭和五十九年(1984)の圃場整備工事により統合・廃止され、今はもうほとんど残っていません。(『周枳郷土誌』)

周枳井溝
現存する周枳井溝の水路。
周枳公民館の裏手にあり、茂った草の下に細い水路が通っています。
今も田圃用の水路として使われているようです。


伝承地:京丹後市大宮町周枳

貝坂

貝坂 (かいざか)


昔、丹波国の人が若狭の汐水を汲んで壺に入れ、丹波国と若狭国の境の上林峠を歩いていた。
その時、何かに躓いて転び、壺が割れて汐水が流れ出てしまった。
すると、その汐水が白浪を立てて押し寄せ、峠は一面海と化した。
やがて浪風は治まったが、その人は驚いて逃げ帰り、それからは汐水を持って峠を通ることはなくなったという。
上林峠は、今でも土中から沢山の貝殻が出るため、“貝坂”と呼ばれている。

『高浜町誌』「貝坂」より


上林峠は京都府綾部市老富町と福井県高浜町の府県境にあった峠道です。
かつては「大飯郡道」として人の往来が盛んで、大正時代に廃道となった後も、昭和四十年頃まで奥上林(老富町)の人々が利用していたそうです。

また、上林峠には貝坂の伝説の他、狐に化かされた女性の話も伝えられています。

昭和の頃、市茅野(老富町)の女性が日暮れに上林峠を歩いて家に帰っていると、上手の方から「おーい」と夫の呼ぶ声がした。
だがいつまで経っても出会えず、峠を越えて家に帰ると、夫はその日、具合が悪く一日中寝込んでいたという。
女性はいなり寿司の折り詰めを持っていたので、それを狙って狐が化かそうとしたのだという。
もし峠で休憩していたら、狐にどこかへ連れ去られてしまったに違いない、と女性は語ったという。(『新わかさ探訪』)


伝承地:綾部市老富町-福井県高浜町関屋・上林峠(現在は廃道)


郡分の水

郡分の水 (こおりわけのみず)


水戸谷峠の頂上付近を「郡分」といい、ここは与謝郡(与謝野町)の三重郷が中郡(京丹後市)に編入された境界である。
郡分にある稲田は「れん破町」と呼ばれ、この田の水は離別のまじないに用いられている。
離婚や不縁を求める者がこの水を汲んで持ち帰り、密かに双方に飲ませると、すぐに効果があるという。

『三重郷土志』「郡分」より


れん破町の養水は東西二つの谷を経て野田川、竹野川へそれぞれ分かれて流れ込むことから、離別の話が生まれたそうです。
また『大宮町誌 本文編』にも離別の水の話が掲載されていますが、稲田の場所は「れん破町」ではなく「恋破(こいわけ)町」となっています。


伝承地:京丹後市大宮町三重・水戸谷峠


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