丹波・丹後の妖怪あつめ

京都府北部(丹波・丹後地域)の怪異妖怪伝承を紹介するブログです。

丹池

丹池 (あかいけ)


昔、鴻池(大阪府東大阪市)に美しい娘がいた。
ある時、娘はふと気が狂って「丹後に好きな人がいるからそこへ嫁入りしたい」と言い出した。
両親は娘の言うがままに立派な駕籠に乗せ、お供をつけて丹後へ送り出した。
ところが丹後の桜尾峠まで来ると、娘は大蛇に姿を変え、近くにあった池に入り姿を消してしまった。
それ以来、人々はこの池を蛇の池と呼び、誰も近づかなかった。

その後、池の主となった大蛇は時々里に現れては農作物を荒らし、人々を悩ませていた。
そこで木津村の三五郎という男が大蛇を退治しようと決意し、全裸になって刀を口に咥え池に潜った。
すると水底にヘダラ(ヒサカキ)の大株が沈んでいたので、試しに斬りつけてみた。
ところが株に見えたものは大蛇の胴体で、たちまち池は血で真っ赤に染まった。
それ以来、大蛇が姿を見せることはなくなったが、池の水はいつまでも血で赤く染まっていたという。
人々は池を「丹池」と呼ぶようになり、これが後に「丹波」の国名の起源になったと伝えられている。
また、大蛇を斬った刀は「蛇切丸」と名付けられ加茂神社に奉納されたが、元禄四年(1691)に盗まれてしまったという。

『郷土と美術』昭和十四年七月号「郷土の伝説 丹池物語」より


これは丹波の国名の起源・由来を物語る伝説で、亀岡市にも「倒した大蛇の血で湖水が赤く染まったことから国名を丹波と名づけた」という内容の伝説があります。
丹後国は和銅六年(713)、それまで丹波国だった北部の五郡(加佐郡・与謝郡・竹野郡・中郡・熊野郡)が分割されて誕生しました。
それ以前は、兵庫や大坂の一部を含む広大な地域がまるっと丹波国だったそうです。
舞台となった丹池(蛇の池)は、網野町俵野と久美浜町湊宮の境にある勝田池のことだと言われています。

ちなみに本文の参考資料では、大坂娘の惚れた相手について語られていませんが、『丹後の民話 第二集』では、丹後から来て娘に求婚する謎の美男子が登場するエピソードが追加されています。
美男子(正体は大蛇?)が遠路はるばる大阪まで求婚に来た理由は不明ですが、一目惚れした娘は丹後へ嫁ぐことを決心します。
そして娘は桜尾峠近くの池(湖)に入り、美男子と一緒に泳ぎ回った後に姿を消してしまう、という話になっています。(その後の展開は本文とほぼ同じ)

その他、丹池にまつわる伝説として、網野町郷に「牛洗い場」という深い淵があり、その淵は俵野の丹池と底が繋がっていると言われていました。
昔、ある村人がその淵で牛を洗っている時、牛が足を滑らせて淵の中に沈んでしまい、数日後、丹池に牛の死体が浮かんだという話があります。
また、久美浜町海士と油池の間には「赤池」という池があり、こちらも俵野の丹池と底が繋がっていて、丹池に棒を投げ入れたら数日後にその棒が赤池に浮かんだという話も伝わっています。(『ふるさとのむかし 伝説と史話』)

ちなみに赤池にも主がいたそうです。
赤池の鯉右衛門


伝承地:京丹後市網野町俵野・勝田池


蛇の池

蛇の池 (じゃのいけ)


直見西垣集落の飯尾家の裏と、そこから南に少し下った所にそれぞれ1㎡程の池がある。
飯尾家の裏の池は大蛇が頭で掘り、南の池は尾で掘ったものだと言われている。
この池の水に髪を浸ければ黒くなると言い伝えられており、かつては遠方から水を汲みに来る者もあったという。
また、池の近くに「蛇塚」という所があるが、そこに大蛇を殺して埋めたと伝えられている。

『上夜久野村史』「蛇の池(直見西垣)」より


蛇の池は寛政六年(1794)刊行の『丹波志』にも載っていることから、割と古めの伝説であることがわかります。
ちなみに池の名前は『丹波志』では「髪長池」、夜久野町の郷土誌『丹波夜久野の話』では「髪洗池」と、それぞれ違う名前で呼ばれています。

地元の方に蛇の池の場所を聞いてみましたが、残念ながら情報は得られず伝承地探訪は叶いませんでした。
池はもう残っていないのかも?

伝承地:福知山市夜久野町直見(西垣)


蛇の化身

蛇の化身 (へびのけしん)


昔、上成松村の山中に「おだまきの池」という池があった。
その頃、夜になると新郷村に美しい若者が、大谷村に美しい娘が姿を現すようになった。
二人はそれぞれの村を出発し、上成松村の山裾で合流すると、そのままどこかへ姿を消した。
その噂を聞いた大谷村の助十という男は、邪なことを考え、ある夜、娘の跡をつけた。
ところが娘は途中で尾行に気づき、振り返って助十をじっと見つめた。
すると助十の体は震え出し、足が動かなくなったという。
やがて村人たちの間で「若者と娘は蛇の化身ではないか」と噂されるようになった。
だがその噂が広まると、それ以来二人は姿を見せなくなったという。
二人の蛇の化身は、毎夜おだまきの池で出会い、逢瀬を交わしていたという。

『由緒を尋ねて』「成松おだまきの池」より


昔、おだまきの池のそばには大きな古松が生えていました。
その松はものすごい大木で、黒田(上成松の隣の地区)まで枝をかざしていたそうです。(『丹波志』)
ただ残念ながら、おだまきの池も大きな古松も現存していません。
若者と娘はどこへ行ってしまったんでしょうね。噂されて居づらくなったのかな。


伝承地:丹波市氷上町上成松


わらじが森

わらじが森 (わらじがもり)


鹿野から佐濃谷川の橋を渡り、浜詰へ行く道の途中に大田(だいでん)という池がある。
大田は神功皇后が三韓征伐の折に、ここを通ってついた足跡から出来たと池だという。
大田の近くには小さな森があり、ここで神功皇后がわらじを履き替えたことから“わらじが森”と呼ばれている。
この森に「しんぐ(神功?)さん」と呼ばれる小さな社があるが、社の方に向かって汚いことをすると、その場で神罰が当たるという。
昔、丹後鉄道の敷設工事が行われた時、ある人夫が知らずに汚したところ、たちまち腰から下が腫れて動けなくなったという。

『続 熊野郡伝説史』「わらじが森(神野村)」より


伝承地:京丹後市久美浜町鹿野、俵野(わらじが森の位置は不明)


神座の池

神座の池 (かむくらのいけ)


油池の北の山に意布伎城という城があった。
この山城の麓の神座という所に小さな池があり、この池の水をかき回すと祟られて腹痛になると伝えられている。

『熊野郡伝説史』「意布伎城址(海部村)」より


意布伎城には戦国時代、城主の奥方が久美浜湾に浮かぶ沢山の灯火を見て「あれは何か」と尋ね、家来が「あれはコノシロ獲り(の漁火)です」と答えたのを「この城取り(敵軍)」と聞き違えてパニックになった、というエピソードがあります。
(城主が「この城取り」と聞き違え、敵軍に囲まれていると思い切腹しようとするパターンもあります)


伝承地:京丹後市久美浜町油池


すまずの池

すまずの池 (すまずのいけ)


昔、神池寺の池に大蛇が棲み、何人もの鐘撞き坊主を喰っていた。
そこで寺の僧が硝煙を詰めた人形を作り、池の端に立て置いた。
程なくして大蛇が現れ、人形を呑み込んで山裾の塚原という所まで移動した。
すると硝煙に火が点き、大蛇は体を焼かれながら南村に至り、知乃神社の池でのたうち回って死んだ。
それ以来、池の水は赤褐色に染まり、“すまずの池”と呼ばれるようになった。
その後、人々は知乃神社に大蛇の霊を祀ったという。

『丹波志 氷上郡之部』「知乃神社」
『鴨庄村誌』「すまずの池(南の伝説)」より


神池寺境内の池にも同じ「澄まずの池」の伝承がありますが、今回の話はそれの別パターンです。


知乃神社にいらした地元のお爺さんに「すまずの池」のお話を伺ったところ、池は知乃神社の東側にあったと教えてもらいました。
池はそこまで大きくはないがとても深く、水面はいつも濁っていて底が見えなかったそうです。まさにすまずの池。
周囲は藪がこんもりと茂り、池のそばには大人六人抱えもある大きな杉の木が生えていたとのこと。
ですが昭和四十年か五十年頃に当時の所有者が池を埋め立て、同時に藪も杉も伐採して更地にしたんだそうです。
お爺さんは「神池寺の大蛇が知乃神社まで逃げてきて横の池で死んだ話は小さい頃によく聞かされた」とおっしゃっていました。
地元では結構メジャーな伝説みたいですね。


すまずの池跡地
知乃神社の横にある“すまずの池”跡地。
現在は広場になっています。(写真左側に神社)
ちなみに大蛇が棲んでいた神池寺の池は、知乃神社の南側に聳える妙高山の山頂にあり、池同士は5km程離れています。


知乃神社
知乃神社。
祭神は知奴王命(敏達天皇の子)


大蛇に火薬入り人形を呑ませて爆殺するお話。
竹林寺の大蛇(京丹後市)


伝承地:丹波市市島町南



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