丹波・丹後の妖怪あつめ

京都府北部(丹波・丹後地域)の怪異妖怪伝承を紹介するブログです。

牛鬼

御嶽山の牛鬼

御嶽山の牛鬼 (みたけさんのうしおに)


昔、余田徳尾村に松本弥助という三人張りの弓を引く名人がいた。
ある時、弥助は余田徳尾の深山に現れた牛鬼を弓で射た。
牛鬼は矢傷を負いながら棲み処の御嶽山まで戻り、そこで死んだという。

『丹波志』巻之四「姓氏部」より


『姓氏家系大辞典』にも御嶽山の牛鬼の話が載っていますが(内容は『丹波志』の引用)、こちらでは「此の牛鬼は御嶽山(天田郡)に住む故、矢を負ひながら山に叛り死す」とあり、牛鬼の棲み処は天田郡の御嶽山(福知山市北部の三岳山)だという注釈が入っています。
ちなみに引用元の『丹波志』には御嶽山の正確な場所は書かれていません。
福知山市の三岳山は丹波市の徳尾から15~20kmくらい離れた位置にあり、山を幾つか越えなければ辿り着けません。
つまり牛鬼は致命傷を負いながらもその距離を移動して棲み処に帰ったということになります。手負いでもタフネス。


伝承地:丹波市市島町徳尾


鬼牛

鬼牛 (おにうし)


昔、千束(三和町)に“鬼牛”という、鬼の頭に牛の体を持つ妖怪が棲んでおり、山中に現れては村人を喰い殺していた。
村の青年久作は、人々を脅かす鬼牛を退治したいという思いから、隣村の萩原にいる刀鍛冶のもとを訪れた。
刀鍛冶は久作の熱意に打たれ、鬼牛を退治するための刀を作り授けることを約束した。
だが、普通の刀では鬼牛を退治することは出来ない。
刀鍛冶は一日百回ずつ鎚を打ち、千日かけて特別な刀を仕上げようと決めた。久作も刀鍛冶のために千日間、毎日柴を一束届けることを約束した。
それから久作は一日も休まず、仕事の合間に柴を刈っては鍛冶屋に運び続けた。

柴を千束運んだ頃、念願の刀が出来上がった。刀は運び続けた柴束の数にちなんで「千束丸」と銘打たれた。
刀を受け取った久作は神社に詣で、必勝を祈願した。
ところが翌朝目覚めると、枕元に置いていたはずの刀が、鞘だけを残してなくなっていた。
久作は千日もかけて作られた刀が消えていたことにひどく落ち込み、悲嘆に暮れる日々を送っていた。
そんな久作のもとに、村人から「鬼牛が倒れている」という知らせが入って来た。
不思議に思い山へ行くと、話の通り鬼牛が血を流して息絶えていた。その心臓には、なくなったはずの千束丸が突き刺さっている。
これは久作の願いが通じ、神が千束丸を用いて鬼牛を退治したのだろうと、村人たちは彼を誉め讃えた。
久作は神社にお礼参りを済ませた後、そこに千束丸を奉納したという。

『三和町史 上』「千束の化け物退治」より


丹後に引き続き、丹波は福知山市三和町の鬼牛(牛鬼)伝承です。
名前こそ「牛」と「鬼」が逆になっていますが、一般的な牛鬼像の妖怪だと思います。
物語の後半「刀が勝手に飛んでいって鬼牛を刺す」という部分は、山陰地方、特に島根県の牛鬼伝承に多く見られるエピソードです。
牛鬼伝承が山陰地方から伝わったと仮定すると、丹後では「怪現象」、丹波では「妖怪」と、近い地域なのに別物になっているのは興味深いですね。
伝播ルートが違ったこと(丹後→海路、丹波→陸路とか?)で土地特有の変化が加えられ、それぞれ違う怪異として成立していったのかもしれません。
丹後のうしおに(怪現象)は、あの地域の気象条件なんかも関係してそうですし。
福知山には他にも「芦淵(千束の北)の王歳神社近くに牛鬼が棲んでいた」(『五十年度 民俗採訪』)という話がありますが、これは千束と同じ個体だったのかもしれません。


伝承地:福知山市三和町千束



うしおに

うしおに


久美浜町には“うしおに”という怪異が伝えられている。

雨や雪の夜に海へ出ると、ベテランの漁師でさえ方向を間違えることがあるという。
蓑笠から滴る雫が五色に輝き、不思議に思いながら灯火を目標に久美浜湾を舟で走っていると、何故か目標の地点へ辿り着くことが出来ない。
東へ行こうとすると西へ、南下しようすれば北上し、何時間かけても目的地に到達することが出来ず、一晩休みなく舟を操ることになるという。

海に限らず陸の上でも、雪の夜などはこれに似た怪異が起こる。
自分の家は見えているのに通り過ぎてしまう。家の前を何回往復しても、どうしても家に入ることが出来ないことがあるという。
これは鼬が人を迷わしているのだとも言われている。

また、カツオジという鯛釣りの名人が、雨の夜に舟で沖合に行って釣りをしていた。
すると陸から「カツオジ来いや。ぼたもちを喰わせてやるから来いや」と、自分を呼ぶ声がした。
カツオジは舟を下りて声の方へ歩いていくが、近づこうとすればするほど声は遠くなり、どれだけ進んでも声の主に辿り着くことが出来ない。カツオジは途中で諦め、舟まで戻った。
ところが、あれだけ大漁だった魚が一匹残らずなくなっており、それどころかエサのサナギも空になっていた。
仕方なく舟を漕いで帰路につこうとしたが、雨はますます強くなり、蓑笠を伝う雫が強く光り出した。
不思議に思いつつ舟を漕ぐが、漕いでも漕いでも方角はわからず目的地にも辿り着けない。
夜が明けてやっと方角がわかるようになったので、何とか船着き場まで戻ることが出来たという。
これを「“うしおに”つけられる」という。

『熊野郡伝説史』「うしほに」
『くみはまの民話と伝説』「うしおにの話(神野)」
『季刊 民話 1975冬 創刊号』「奥丹後物語 草稿」より


宮津の牛鬼続き、今回は京丹後市に伝わる“うしおに”の怪異です。
こちらも姿を見せず人を惑わせるタイプの怪異ですね。
丹後に伝わる牛鬼は形のない怪現象のようなもので、姿を現して人畜を襲うことはない……のかと思いきや、丹後町には「人と喧嘩をして耳や顔をかじる“うしおに”がいる」という話があったりします。(『丹後町の民話 第二集』)
同じ丹後でも、地域によってずいぶん性質が違うみたいですね。

少し調べてみたところ、山陰地方には宮津や丹後の牛鬼と共通する話が幾つかあるようです。
『勝見名跡誌』(『日本伝説大系』第十一巻)では「鳥取県の湖山池で、時雨の夜に多くの“ウシオニ”に目や口が開けられなくなる程たかられ、蓑笠に氷筋(氷雨?)が蛍火のように付着した」という話が載っています。
これは久美浜町のうしおにの「蓑笠から滴る雫が五色に輝き~」という現象とちょっと似ていますね
ただ、舟や人を惑わせたりするという伝承はなく、この部分に関しては丹後独自のものなのかもしれません。
水滴が異様に輝き始める→うしおにが現れる(またはうしおにに惑わされている最中である)合図、なのでしょうか。
『異説まちまち』には「出雲国(島根県)のとある橋を渡ると、白く光る蝶のようなものが漂っていて、それが衣服に付いて払っても落ちない。これを「牛鬼に逢う」のだという」話があります。


伝承地:京丹後市久美浜町・久美浜湾など


牛鬼

牛鬼 (うしおに)


木子の吉原という所には、人を化かす“牛鬼”という妖怪がいるという。
ある大雪の日、内山(現・京丹後市大宮町)の村人が吉原の丸山という田圃の辺りを通った。
吹雪で前後が見えなくなってしまったが、杖を突きながら何とか雪道を歩いていると、急に道が良くなった。
「変だな。ひょっとすると同じ所をぐるぐる回っているのかもしれない」
そう思い、杖を地面に突き立ててから周囲を歩いてみた。
しばらく歩くと、さっき立てた杖が見えてきた。どうやら元の場所に戻って来てしまったようだった。
「これは牛鬼に化かされている」と思い、慎重に道を見極めながら進むと、無事抜け出すことが出来たという。

またある夜、吉津村(現・宮津市文珠)の老人が隣村から土産の蕎麦を手に山道を歩いて帰っていた。
すると突然目の前に山が現れ、そこから先へ一歩も進むことが出来なくなった。
これは牛鬼の仕業で、狙いは蕎麦であると気づいた老人はその場に腰を降ろし煙草に火を点けた。
そして「お前らに蕎麦はやらん。近寄ってきたら生け捕りにしてやる」と辺りを見廻しながら威嚇した。
しばらく煙草を吸っていると、目の前の山に針先程の穴が空いた。
穴は段々大きく広がっていき、やがて元通りの道に戻ったという。

『丹後の民話 第一集 いかがのはなし』「木子の吉原 牛鬼が化かす」
『天橋立秘帖 史実と伝説集 2』「橋立小女郎」より


「牛の頭に鬼の体(またはその逆)持った、人を襲う凶暴な妖怪」というのが、一般的な牛鬼像だと思います。
ですが、宮津の牛鬼は姿を見せずに人を惑わせたり通せんぼをしたりする、あまり牛鬼のイメージにない(?)怪現象を起こす妖怪として伝えられているようです。
爺が「生け捕りにするぞ!」と強気に出ていることから、宮津の牛鬼はせいぜい人の邪魔をするくらいで、それほど危険なものではなかったんですかね。

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