丹波・丹後の妖怪あつめ

京都府北部(丹波・丹後地域)の怪異妖怪伝承を紹介するブログです。

大歳神社の化け物

大歳神社の化け物 (おおとしじんじゃのばけもの)


大化の頃(645~650)、本郷村の大歳神社の氏子から一年に何人もの死者が出ていた。
村人たちは神の禍であると考え、人身御供を捧げることにした。
そしてある家が人身御供に選ばれ、家人は嘆き悲しんだが逃れることは出来ず、一心に神に祈り、断食して神前に体を投げ出して籠っていた。
すると三十七日目の明け方、光と共に一人の童子が現れ「江州犬上郡の多賀明神(滋賀県犬上郡多賀町の多賀神社)は伊弉諾命を祀っている。かつてここにも人身御供の災難があったが、鎮兵六という犬が化け物を倒したことで禍を逃れた」と告げた。
そこで村人たちは犬上郡へ行って鎮兵六を借り受けると、犬を箱に入れて神前に供え、武器を手に隠れて待ち構えた。
やがて天地を揺るがす轟音と共に大きな化け物が現れ、拝殿に躍り上がり供えられた箱を開けようとした。
その瞬間、箱の中から鎮兵六が飛び出し、化け物に襲いかかった。
両者は取っ組み合いになり、やがて化け物は足を踏み外して縁側から下に転げ落ちた。
そこへ村人たちが一斉に打ちかかり、遂に化け物を退治することが出来た。
その後、鎮兵六は村で大切に飼われていたが、白鳳元年(661)正月四日に死亡したため、形見として爪を一枚いただき、亡骸は故郷へ送り返したという。
そして大宝元年(701)、本郷村は村名を改め、犬飼村と称するようになった。

『犬飼村の伝承と遺跡』「丹州多紀郡当村大歳大明神畧縁(前川家文書)」より


犬が生贄を取る化け物を倒す伝説は各地にあり、古くは『今昔物語集』(美作国の二匹の犬が猿軍団を退治する話)にも見られます。
長野県駒ケ根市・光前寺に伝わる霊犬早太郎伝説もこのタイプですね。
また『郷土の民話(丹有編)』にも同じ話がありますが、こちらでは化け物の正体は「三つ眼の大狸」とされており、化け物感がアップしています。
『日本伝説集』では、人身御供に選ばれた家の娘の飼い犬が娘を守るために化け物(古狢)と刺し違えるという話になっており、篠山の郷土本『爺のはなし』では、化け物は二匹に増え、借り受ける犬も「土佐国の当千大夫」に変わっているなど、書籍によって細かな違いが見られます。

大歳神社
犬飼の大歳神社。
化け物退治に使った太刀や薙刀、切り取った化け物の片足、鎮兵六の爪が保管されているそうです。見てみたい……。
ちなみに大歳神社では、毎年十二月の申の日と戌の日にお祭りが行われ、戌の日の祭には餅がまかれますが、この餅を食べるとお産が軽くなるという俗信があります。
また正月四日には鎮兵六を弔うため、地区の当番の人が樒の花を供える習わしもあるそうです。
昔は人身御供の伝説に倣い、生きたイナ(ボラ)を二匹、イナダ姫と名づけて神前に供えていました。
名前は八岐大蛇の生贄にされかけた稲田媛(櫛名田比売)にちなんでいるのでしょうか。


伝承地:丹波篠山市犬飼・大歳神社


怪しの家

怪しの家 (あやしのいえ)


大正四年(1915)二月二十六日夜十時頃、福知山の陸軍歩兵第二十連隊大隊長・櫻井正吉少佐が何者かに暗殺された。
曽我井村にある櫻井少佐の邸宅は代々工兵科大隊長の別宅として宛がわれていたが、以前から不吉なことが起こると有名だった。
先住の井上大隊長はこの家に住んでから子を失い、更に他国にあった兄も死亡した。
その次に入居した高野大隊長も、同じ日に子と兄を失ったという。
次に木村大隊長が馬丁(馬の世話人)夫婦と共に入居したが、庭の古井戸に物が落ちる音が聞こえたり(後に石垣が崩落する音と判明)、夜毎馬丁がうなされたりと怪事が続いた。
遂に馬丁夫婦は「この家に長居すれば私たちの命が危ない」と訴え、木村大隊長と共に家を出たという。
そして最後に入居したのが櫻井少佐であった。
少佐が暗殺される前、共に入居した馬丁夫妻の妻が突然喀血したことがあり、近隣の人々は「これで厄から逃れられるといいが」と噂した。
だがそこに少佐暗殺の報が入り、人々は「とうとう家の主人まで取り殺した」と話したという。

上記は大正四年三月六日に『神戸又新日報』が報じた記事ですが、その一ヶ月後の四月十一日には、事件後に空き家となった邸宅で怪現象が起こったという続報が掲載されます。

櫻井少佐暗殺事件の後、件の邸宅は空き家となっていた。
だが真夜中になると、裏手の古井戸に面した戸口が物凄い音で軋み出し、室内はにわかに喧騒を極める。
そしてどこからか茶褐色の洋犬三頭が集まり、しきりに吠え立てる。
夜明けが近づくと室内の音は止み、同時に洋犬たちもかき消すように姿を隠すという。
この怪現象は毎夜続いたため、近隣の家主たちは犬殺し(野良の犬猫を殺処分する職業)の者を雇い、洋犬の内二頭を殺害した。
だが怪現象が収まることはなく、それどころか益々酷くなる一方だった。
遂に福知山憲兵隊から四人の憲兵が邸宅に派遣され、夜通し見張ることになった。
すると夜半を過ぎた頃、裏の木戸を軋ませ、何者かが櫻井少佐の元居室に入って行った。
そして泣き声でも笑い声でもない、人とも獣ともつかない奇声を上げ、ひとしきり騒ぎ立てた。
だがその声は絶えてしまい、結局誰も正体を見ることは出来なかったという。
ちなみに櫻井少佐の邸宅は非常に古い建物で、昔から「化物屋敷」と言い伝えられていたが、少佐暗殺事件との関連はわかっていない。

『神戸又新日報』大正四年三月六日「怪しの家」
『神戸又新日報』大正四年四月十一日「大正化物邸」
(元資料『大正期怪異妖怪記事資料集成(上)』)より


少佐暗殺事件の記事は『神戸又新日報』の他、『朝日新聞』『毎日新聞』『樺太日日新聞』『北陸タイムス』など様々な新聞に見られ、全国的にこぞって報道されたようです。
大正四年四月十日刊『九州日之出新聞』にも空き家となった邸宅で起こった怪現象の記事(内容は『神戸又新日報』と同じ)がありますが、こちらは見出しに「古井戸より現れる故少佐の幽霊」と書かれています。
『九州日之出新聞』は、毎夜邸宅で起こる騒音は櫻井少佐の霊の仕業だと考え、このような見出しをつけたのでしょうか。
ちなみに櫻井少佐は後頭部を銃で撃たれて殺害されたそうですが、結局犯人は見つからないまま迷宮入り事件となりました。(『ふるさとの話題 第53集』)


伝承地:福知山市掘(邸宅は現存していない)


犬の堂

犬の堂 (いぬのどう)


昔、波路村の戒岩寺は文殊堂(知恩寺)を掛け持ちで運営していた。
この時、戒岩寺の僧は用事がある度に飼い犬を寺から文殊堂へ使わしていた。
この犬は賢く、あらかじめ帰宅の刻限を決めておけば必ずその時間までに戻って来るため、僧からとても愛されていた。
同じ頃、寺に愚鈍な小僧がいて、いつも犬と比較されて叱られていた。
怒った小僧はある時、犬を陥れようと約束の時間より早く寺の鐘を鳴らした。
ちょうど使いに出ていた犬は鐘の音を聞いて遅刻したと勘違いし、浜の岩の角に頭を打ちつけて自殺した。
その後、僧は犬の死を哀れみ、小堂を建てて菩提を弔ったという。

『与謝郡誌 下巻』「犬の堂」より


江戸後期の地誌『丹哥府志』には、実際の犬の堂の碑文が掲載されています。
話の大筋は同じですが、犬は遅刻して自殺したのではなく、単に老衰で死亡したとなっています。
また宮津藩の地誌『宮津府志』では、犬をたばかる小僧は出て来ず、犬が刻限までに寺へ戻れなかった理由も「道中でトラブルが発生して間に合わなかった」となっています。ただ最後には犬は自殺してしまいます。

その他、昭和初期に発刊された『旅と伝説』にも犬の堂の記述がありますが、上記のものとは違った内容になっています。
昔、山の上に鐘撞き堂があり、堂守の老人は毎日時刻を報せる鐘を撞いていた。
老人は時々居眠りをして撞くのを忘れることがあったが、いつも時間になると飼い犬が起こしてくれていた。
だがある夜、老人も犬も寝過ごしてしまい、鐘を撞くことが出来なかった。
犬はその責任を取り、舌を噛み切って死亡した。
その後、人々はお堂を建てて犬を祀ったという。(『旅と伝説』1号「天の橋立にて」)


犬の堂
宮津市杉末にある「犬の堂」の碑。
碑文は江戸時代の儒学者・林羅山の息子、林鵞峰の作と言われていますが、現在は風化で削れ読めなくなっています。


伝承地:宮津市杉末


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