丹波・丹後の妖怪あつめ

京都府北部(丹波・丹後地域)の怪異妖怪伝承を紹介するブログです。

山本の狸

山本の狸 (やまもとのたぬき)


昭和二十年代まで山本の辺りには竹藪が沢山あり、そこに多くの狸が棲んでいて、人を化かしては喜んでいたという。
狸たちは通行人に砂をまいたり、姉さんかぶりにたすき掛け姿の娘に化け、竹を背負って山本浜(保津川沿いの河原)の辺りを五、六人で固まってしゃなりしゃなりと歩くこともあったという。
他にも、法事帰りの尼が「いいお湯だ」と言って肥溜めに一晩中浸かっていた、老婆が通い慣れた道で迷い、夜明けまで川の土手を彷徨っていたという話もある。
昭和の初め頃は、山本のある所の大きな門に狸が背高坊主になって現れると言われていた。
ある日の夕方、少女が姉と子守をしながらそこを通りかかると、門の梁に頭がつかえそうな大坊主が下駄を履いて立っていたので、姉妹は泣きながら逃げ出したという。

『山本の風土記』「たぬきのはなし」より


他にも、太郎兵衛という人が娘に化けた狸を見物していたつもりが、気づけば石灯籠に頭を突っ込んでいた、というポピュラーな化かされ話も伝えられています。
このように山本地域は狸に化かされることが多かったので、親指を隠し握りこぶしを作って歩く、マッチや提灯を携帯するなど、化かされないための対処法があったそうです。


伝承地:亀岡市篠町山本


わらじくれ

わらじくれ


昔、ある博労(牛馬の仲買人)の男が来見谷(弥栄町)へ牛の商談に行き、夜に大金坂を帰っていた。
その途中にある「山の神さん」という椎の木の森まで来た時、ピッチャ、ピッチャと足音が聞こえたが、振り返っても誰もいなかった。
だが歩き出すと「わらじくれ、わらじくれ」という声がしたので、博労は狸の仕業だと思い、「ほら、やろう」と言って片方のわらじを放り投げた。
ところが大栗谷口まで来ると、また「わらじくれ、わらじくれ」という声がしたので、「そんならやろう」と言ってもう片方のわらじを放り投げると、声は聞こえなくなった。
翌朝、再び山の神さんの所まで行ってみたが、投げたわらじはどこにも見当たらなかった。
博労は「狸が足が痛いので「わらじくれ」と言ったのだろう」と思ったという。

『チャンポンと鳴る鼓滝 京都府京丹後市弥栄町船木の民話』「わらじくれ」より


狸は四足歩行だからもう二足必要なのでは。
立って歩いて帰ったのかな。

音を立てながらついてくるもの。


伝承地:京丹後市弥栄町船木


椎の木の古狸

椎の木の古狸 (しいのきのふるだぬき)


昔、等楽寺と堀越の間の道端に二本の椎の木があった。
そこは化け物が出ると言われており、夜に通ると大入道が立っている、向かい側の松の梢に青白い灯が灯る、赤子の泣き声が聞こえる、椎の木の葉がぱらぱらと鳴って砂が撒かれるなど、度々不思議なことが起こっていた。
日中でも、魚売りが見慣れぬ茶屋の綺麗な番頭に誘われて休憩したところ、いつの間にか茶屋も番頭も消え、荷物の魚が全てなくなっていたということがあった。
これは全てこの辺りに棲む古狸の仕業だと言って、人々は通るのを嫌がっていた。
そんなある日、平谷村の重兵衛という若者が化け物の話を聞き、腰に刀をさして退治に向かった。
そして椎の木まで来ると、その片方に登り、枝に座って化け物が現れるのを待つことにした。
だがいつの間にか眠ってしまい、重兵衛は木の下から自分の名を呼ぶ声で目を覚ました。
既に辺りは暗くなっており、下からは「重兵衛や。母の具合が悪いから帰って来い」という声が聞こえてきた。
重兵衛はいよいよ化け物が出たと思い、「誰が帰るものか。俺のお母は元気でぴんぴんだい」と言って降りようとしなかった。
声はその後も「母の死に目に会いたくないのか」と呼び続けたが、重兵衛は黙って無視していた。
すると遠くから鉦の音と共に葬式の行列が現れ、椎の木の下に墓を建て、灯籠を置いて去って行った。
しばらくして灯籠の灯りが消えたかと思うと、白いものがちらりと見え、それが六尺(約1.8m)もある幽霊になった。
幽霊は髪を振り乱し、目をギロギロと光らせながら、重兵衛のいる枝目がけて軽やかな動きで登ってきた。
そして細い手を伸ばして掴みかかってきたので、重兵衛はすかさず刀を抜いてその手を斬りつけた。
すると幽霊は落下し、そのまま消えてしまった。
夜が明けてから木の下を見ると、大きな古狸が両手を斬られて死んでいた。

重兵衛はその古狸の死体を村ヘ持ち帰り、狸汁にして村の皆に振舞おうとした。
ところが夏だったこともあり、臭いがひどくて食べられず、死体は草原に埋められた。
するとその翌年、古狸を埋めた所から触ると嫌な臭いを出す臭木が生えてきた。
人々は「きっと狸の妄念から生えてきたのだ」と言って、臭木を鎌で刈り取ったが、再び芽を出し、生長して嫌な臭いを放つ白い花を咲かせた。
そして方々に実をまき散らし、山や草原に沢山の臭木を生やしていった。
今も平谷から椎の木の辺りには多くの臭木が生えており、人々に嫌がらせをしているという。

『丹後の民話 第三集 ふるさとのむかしばなし』「古狸とくさ木」より


以前に紹介した“周枳峠の化け物”と同じタイプのお話ですが、こちらは化け物の正体である古狸を退治した後に嫌なエピソードが追加されています。
死してなお臭木を生やして人々に嫌がらせをする狸の執念たるや。
ちなみに重兵衛の出身地の平谷村は、ある大雪の春に起こった雪崩で村人全員が生き埋めになり、村ごと消滅したという伝説があります。切ない。


伝承地:京丹後市弥栄町等楽寺


御札を降らせた古狸

御札を降らせた古狸 (おふだをふらせたふるだぬき)


明治二年(1869)、葛野村に大神宮(大宮賣神社?)の御札や一文銭が降った。
これは葛野に棲む古狸の仕業で、村人を化かして大騒動を起こした。
この騒動を聞いて久美浜の役人が調査に来たが、その時、老婆の挽いていた臼の上臼が天井裏まで吊り上がった。
役人が上臼を棒で突くと、先端にかい餅(籾を蒸した餅)が貼りついた。
それで村中の者が赤襦袢を着て、「よいじゃないか、よいじゃないか」と言って踊り回ったという。

『おおみやの民話』「古狸の仕業」より


葛野ではこの騒動の二年前、慶応三年(「ええじゃないか騒動」が流行した年)にも高山という人工山の頂上から御札や金が降ったことがありました。
その時、村の人々は「有難いことじゃ、福の神が舞い込んだ」と喜び合い、高山に八百万神社の仮殿を建てて盛大な祭を催し、「よいじゃないか、よいじゃないか」と言いながら何日も踊り狂ったそうです。(『湊生活百年史』)
古狸はこの時の騒動を真似て御札を降らせたのでしょうか。
上臼を吊り上げたのも古狸の仕業?

同じく、与謝野町岩滝でも慶応三年に「ええじゃないか騒動」が起こりましたが、その時は夜間に神社の剣先札が家の門口や中庭へ落ちて来て、それを見た村の人々は「神様からお下がりがあった」と喜び合い、踊り狂ったそうです。
当時を知る古老によると、この騒動の最中、深夜の空に飛行機の飛ぶような音が轟々と響き、黒い影が目撃されました。
その影を見た人は「天狗だ、狗賓だ」と言って怖がっていたそうです。(『岩滝町誌』)


伝承地:京丹後市久美浜町葛野


丹治郎と化け狸

丹治郎と化け狸 (たんじろうとばけだぬき)


昔、丹治郎という老人が家に帰ると、狸が戸口から中の様子を窺っていた。
丹治郎は餌を与えようとしたが、あまり親しくすると化かされるかもしれないと考え直し、狸を追い払った。
ところが、翌日も翌々日も家に来るのを見て、「化かす様子もないから仲良くしてやるか」と考え、狸を家に招き入れた。
そんなある日、丹治郎が峠を歩いていると、一体しかないはずの地蔵が六体に増えていた。
そこで六体の地蔵の口元に煙草の煙を順に吹きかけていくと、一体を残し、五体の地蔵は狸になって逃げて行った。
それから家に戻ると、外から「丹治郎や」と名前を呼ぶ声がしたので、仲良くしている狸だと思い戸を開けたが、外には何もいなかった。
ところが、戸を閉めて戻ると、狸はいつの間にか家の中に入って来ていた。
そして「長く養ってもらったが、化け狸であることを知られてしまったのでお別れだ。今日は餞別にご馳走を持ってきた」と言ってご馳走を広げた。
だが丹治郎は「狸が持ってきたものだから油断出来ない。ぼた餅と思わせて牛糞を喰わされるかもしれない」と考え、ご馳走に手をつけなかった。
すると狸が「もうお別れだ」と言うので、棲み処まで送って行くと、そこで再びご馳走を振舞われた。
今度はちゃんと食べたが、夜が明けて見てみると、丹治郎は草の中で寝ており、ご馳走はまぐさ(牛馬の飼料)に変わっていたという。

『丹後の民話 1 狐狸ものがたり』「丹治郎さんと狸」より


仲良くなった後も狸を警戒し続けていたのに、最後の最後で化かされてしまいました。
お別れだと思って気が緩んだのかな。


伝承地:京丹後市丹後町谷内


周枳峠の化け物

周枳峠の化け物 (すきとうげのばけもの)


昔、夜な夜な周枳峠に化け物が出て、通行人を山の上へ連れて行ったり、谷底に落としたりして惑わしていた。
そこで峰山の殿様が化け物退治の御触れを出したところ、権兵衛という男がその役目を引き受けた。
ある夜、権兵衛は周枳峠へ向かい、近くの松の木に登って化け物が現れるのを待っていた。
すると深夜になった頃、木の下から「権兵衛さん、お前の母が急病になった。『権兵衛に会いたい』と言っているから早く戻ってやれ」と何者かの声がした。
権兵衛が耳を貸さずにいると、声は「お前が意地を張って帰らないから母は死んでしまった。母は『私の死体は権兵衛がいる松の木の下に埋めてくれ』と言い残したので、ここに埋めるぞ」と告げた。
そこで権兵衛が「そうしてくれ」と答えると、葬式の列が来て、木の下に白装束姿の母の死体を埋めて帰って行った。
すると埋めた土の中から、髪を振り乱した母の死体が起き上がり、「権兵衛、私が死んだのに何故戻って来ない」と言って木を登ってきた。
権兵衛は木の上へ上へと逃げたが、やがて一番上まで追い詰められ、母の死体に足を掴まれそうになった。
だがその瞬間、権兵衛は腰にさしていた刀を抜き、母の死体を滅多斬りにした。
すると母の死体は「ギヤァッ」と悲鳴を上げて木から落ちた。
そして夜が明け、様子を見に来た村の庄屋たちが木の下を確認すると、古狸が血塗れになって死んでいたという。

『おおみやの民話』「権兵衛の化物退治(一)」より


このタイプの話は徳島県の「幽霊狸」(『阿波の狸の話』に掲載)をはじめ各地に見られます。
丹後地方では本文の京丹後市大宮町の他、同市弥栄町、宮津市などに類話があります。
話の展開は、勇敢な男が巷を騒がす化け物を退治しに出没地へ行く→木に登って待っていると下から何者かに「お前の家の○○が死にそう」と声をかけられる→無視していると「○○が死んだぞ」と追加報告され、その死体が入った棺が木の下に埋められる(または置いていかれる)→棺から死体が這い出し、木に登って男を襲いかかるも返り討ちに遭い落下する→翌朝に木の下を見ると古狸が死んでいる(正体不明のパターンもあり)……というもので、どれも本文とだいたい同じ流れになっています。


伝承地:京丹後市大宮町周枳


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