丹波・丹後の妖怪あつめ

京都府北部(丹波・丹後地域)の怪異妖怪伝承を紹介するブログです。

鏡峠の送り狼

鏡峠の送り狼 (かがみとうげのおくりおおかみ)


昔、ある人が鏡峠を越えて多紀郡(丹波篠山市)へ法事に行き、ご馳走を入れた重箱を背負って帰り道を歩いていた。
やがて日も暮れたので、提灯を点けて急ぎ足で鏡峠を下りかけたが、後ろからピタピタ、ピタピタ、と誰かがついて来るような足音がした。
怖くて振り返ることも出来ず、我慢して歩いていると、急に背中の荷物が軽くなった気がしたが、すぐにまた重くなった。
そして家に帰り着き、背負っていた重箱を開けてみると、中には石が沢山入っていたという。
昔の人は「送り狼に送られたんだ」と言っていた。

『大路にまつわる言い伝え・昔話』「狐や狸に化かされた話(その一)」より


送り狼(送り犬)といえば、後ろからついて来て転んだ人を喰い殺すという妖怪ですが、鏡峠の送り狼は人ではなく食べ物を狙ってつけて来るようです。
狐狸の類が荷物を盗む時のやり口に似ていますね。

その他の送り狼


伝承地:丹波篠山市小坂、丹波市春日町中山(現在鏡峠は廃道)


石田のとねんが婆

石田のとねんが婆 (いしだのとねんがばば)


昔、ある六部(巡礼僧)が生野内にある竹倉部の森の祠で眠っていた。
すると、狼の鳴き声が聞こえてきたので、六部は慌てて近くの榎の木に登ったが、無数の狼に囲まれてしまった。
やがて狼たちは、一頭の上に別の狼が乗り、その上にまた別の狼が乗るという方法で、六部がいる高さまで上がってきた。
だがあと一頭分届かず、リーダー格の狼が「郷の石田のとねんが婆を呼んでこい」と命じた。
しばらくすると一頭の狼が現れ、一番上の狼の背に飛び乗り、六部に噛みつこうとした。
その瞬間、六部が短刀で狼の肩を斬りつけると、その拍子に重なっていた狼たちはバタバタと崩れ落ち、次々に逃げ散っていった。
翌朝、六部は石田村を訪れ、ある家の老婆が昨夜、何者かに斬られて寝込んでいるという話を聞いた。
その家へ行くと、老婆は唸り声を上げ、ものすごい形相で床に伏せていた。
そこで六部が数珠を手に呪文を唱え、悪霊退散を祈ったところ、老婆の顔はみるみる獣のものへと変わっていった。
老婆は目を怒らせ、口から火を吹いて今にも飛びかからんと身構えたので、六部は数珠を投げつけた。
すると、白雲が舞い上がり、老婆はそれに乗って北西の空へ飛び去った。
家の主人は「私たちはこの村ヘ移住してきたのだが、生活は苦しく、妻に先立たれて苦労していた。そんな時、あの老婆がやって来た。老婆はよく働き、手製の膏薬を売り歩いてくれたので生活は楽になった。だが昨夜、老婆は誰かに呼び出された後、血塗れになって帰ってきた。そこでその膏薬を塗って看病していたのだ」と説明した。
その後、六部は家の主人に請われ、生野内の無住の寺に移り住んだという。

『丹後の民話 第二集 ふるさとのむかしばなし』「石田のとねんが婆の話」より


いわゆる「千疋狼」タイプのお話ですが、老婆に化けた狼は退治されず無事に逃げ果せます。
『丹後の昔話』にも同じ話があり、とねんが婆が逃げた「北西」とは今の兵庫県豊岡市奈佐地区のことで、婆はそこで再び「奈佐の膏薬」という狼の膏薬を作って売っていたのではないかと考察されています。
ちなみに、とねんが婆の膏薬は狼の糞を原料に作られたものなんだとか。

その他の千疋狼。


伝承地:京丹後市網野町郷


大川様

大川様 (おおかわさま)


田ノ谷の八幡神社に大きな岩があり、割れ目に獣の尾の形をした石が差し込まれている。
岩には注連縄が張られ、大川様として祀られている。
昔、八幡の使いの狼が暴れ出て村人に危害を加えるので、祈祷して岩の中に封じ込めた。
それ以来、毎年十二月三日の明神講には、早朝から宮当番の者が人目につかないよう神社で五合飯を炊いて藁苞に納め、夕方になるとお供を連れて大川様に参り、供養することになっている。

『鶴林 特集号「伝承」』「諸行事」より



大川様(狼岩)
大川様(狼岩とも)は三和町田ノ谷の八幡神社本殿の横に祀られています。
割れ目に差してある尖った石を囲むように注連縄が張られ、幣束が供えられていました。


大川様全景
岩はかなりの大きさで、下半分はほとんど地中に埋まっています。


八幡神社
八幡神社本殿。
こちらの神社は狛犬ではなく眷属の狼(狛狼?)が本殿を守っています。


伝承地:福知山市三和町田ノ谷・八幡神社


小峠の送り狼

小峠の送り狼 (ことうげのおくりおおかみ)


昔、下大久保の人が小峠を通って家へ帰る途中、身の毛がよだち恐ろしくなった。
急いで近くの家に飛び込み震えていると、家人に「送り狼がついて来たから、持ち物を「ご苦労さんでした」と言って投げ与えろ」と言われた。
その人が腰の手拭いを外に投げると、白いものが飛び去った感じがして、スッと体が楽になったという。
また「みやま」という所にも送り狼がいて、夜に通ると送って来ると言われていた。

『ふる里梅田』「送り狼」より


その他の送り狼。


伝承地:京丹波町下大久保


鮭に乗った神

鮭に乗った神 (さけにのったかみ)


顕宗天皇元年(485)三月二十三日の夜、由良の湊の野々四郎という男が海で釣りをしていると、突然水面が光り輝き、昼よりも明るくなった。
見ると、白い着物を着て金色の鮭に乗り、左手に蚕、右手に五穀の種を持った異人が現れた。
異人は「私は上古の神である。今から大川の里まで行こうと思っているので、このことを村人たちに告げ、すぐに神籬を立てて祀りなさい」と言った。
更に翌年(486)の正月二十八日にも、大川村の八歳の子供が四郎と同じお告げを受けた。
そして同年三月二十三日に天皇から社殿造営の勅命が下り、九月二十三日に大川明神を勧請して祀ったという。
このため大川神社では、正月二十八日、三月二十三日、九月二十三日と年に三度祭を行っている。

『丹哥府志』「大川神社」
『京都の伝説 丹後を歩く』「鮭に乗った神」より


大川神社
大川神社。
大川神社の祭神は保食神とされています。
(『日本書紀』にある食物神で、口から吐き出した食べ物で月夜見尊を接待したらブチギレられて殺され、その死体から蚕や穀物、牛馬が生まれた)
本文の鮭に乗った神が蚕と五穀の種を持っていたのは、保食神の伝承と関係がありそうですね。
創建時は西の徹光山の頂上に鎮座していましたが、麓の由良川を往来する船に祟りがあったため、後に山腹へ移されました。
ちなみに野々四郎は本文の神(女神とも)を背負って徹光山に登りましたが「戻る途中で振り返るな」という神との約束を破り、由良川の川端で振り返ったところ、たちまち死んでしまったそうです。


大川神社本殿
大川神社本殿。
大川神社の使いは狼と言われていて、昔から大川地区には狼の害がなかったそうです。

同神社には「御駒」と呼ばれる30cm程の石の狛犬があり、疫病の流行や狐狸が祟りをなした時に「御駒」を借りると、その村へ狼が来て狐狸妖怪などから守ってくれると言い伝えられています。(『丹哥府志』)
また佐土原藩の修験者・野田成亮の巡礼日記『日本九峯修行日記』にも大川神社の御駒についての説明があります。
こちらでは「神前に祝詞を捧げて御守り(御駒のこと?)を借りれば狼の害を防ぐことが出来る」とあり、更に「願いが叶ったら約束した期日までに御守りを返す習わしだが、もし返さなければ悪犬というものが借りた人につきまとうらしいので早めに返した方がいい」と、御守りを返却しない人へのペナルティも記されています。
悪犬が何かはわかりませんが、名前からしてあまり良い存在ではないっぽいですね……。


野々宮神社
こちらは野々宮神社。
大川神社正面の国道沿いにあり、同神社の御旅所とされています。
『丹後国加佐郡旧語集 下巻』によると、川端で振り返って死んだ野々四郎を祀る社だそうです。


亀→鯉と乗り換えて川を遡上した神


伝承地:舞鶴市大川・大川神社


天王はんの送り狼

天王はんの送り狼 (てんのうはんのおくりおおかみ)


今西中の天王はん(天王の森)には送り狼が棲んでおり、夜に人が通るとどこからともなく現れ、家までついてくるという。
基本的に害はないが、転べば必ず咬みついてくると言われていた。
無事家に辿り着いたら、履いていた草履や草鞋を与えなければならず、これを忘れるといつまでも家の入口で待ち続けるという。

『夜久野町史 第一巻(自然科学・民俗編)』「天王はんの『送り狼』」より


その他の送り狼。
小峠の送り狼(京丹波町)


伝承地:福知山市夜久野町今西中(今西神社奥の森?)


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