丹波・丹後の妖怪あつめ

京都府北部(丹波・丹後地域)の怪異妖怪伝承を紹介するブログです。

恨みの化け猫

恨みの化け猫 (うらみのばけねこ)


昔、榎原に源兵衛という猟師が住んでいた。
ある夜、源兵衛は居眠りをする妻と老いた飼い猫の横で、鉄砲の弾を作っていた。
弾を一つ作り弾筒に入れると、コロンと音がし、その音で妻と飼い猫は目を覚ましたが、やがてまた居眠りを始めた。
こうして源兵衛が六発の弾を作る間、妻と猫は音で目覚めては眠るという動きを繰り返した。
次の日の夜、源兵衛は鉄砲を担いで山へ猟に出かけた。
すると真夜中を過ぎた頃、麓からカンテラの灯りが近づいてきて、「旦那さん、旦那さん」と呼ぶ声がした。
声は家で働く女子衆のもので、「今すぐ家に帰って来てほしいとのことで、呼びに参りました」と言いながら近づいてきた。
だが、声は近づいて来るものの、その姿は見えず、足音も聞こえなかった。
源兵衛は化け物の仕業だと悟り、カンテラの灯りを狙って銃を撃つと、カーンという固い音がして火が消えた。
間髪入れず、暗闇に向けて連続で発砲したが、その度にカーンという音が響くだけだった。
そして六発の弾を撃ち尽くした時、暗闇から「もう弾はないだろう」と女子衆の声がした。
だが、源兵衛はもう一発隠し弾を持っていたので、静かに弾を込め、声の方へ撃ち放った。
すると恐ろしい悲鳴と共に、何かが倒れる音が聞こえた。
そして「旦那さんは意地悪な人だ。にょご(女御?)の使いで来てあげたのに……」と恨み言を吐きながら、声は遠ざかって行った。
夜が明け、声が聞こえた辺りを見ると、家で使っている湯釜の蓋が落ちており、そばに血が流れていた。
源兵衛は「あの声は女子衆だったのだろうか」と心配になり、急いで家に戻ったが、女子衆は普段通りで特に変わったところはなかった。
ふと土間を見ると、血の跡が床下まで続いており、そこに、はらわたを出した飼い猫の死体があった。
数日前、源兵衛は魚を盗んで食べた飼い猫をきつく叩いて叱りつけた。
猫はその恨みから化け猫となり、源兵衛を殺そうとしたのだという。

『福知山の民話と昔ばなし集』「恨みの化猫」より


化け猫が銃弾を茶釜の蓋でガードし、弾が尽きたところを狙って襲いかかるも、隠し弾を撃たれて撃退される……という話は『日本昔話大成』にある「猫と茶釜」タイプのもので、全国に類話が見られます。
丹波地方では福知山市の他、南丹市と京丹波町に同様の話が伝わっています。


伝承地:福知山市榎原


河南の婆

河南の婆 (かんなんのばば)


昔、東古佐村の河南源六という長者の妻・みのが病気になり、床に伏せてからはまともな食事をとらず、魚ばかり食べるようになった。
しかも魚を運んできた下女が部屋を去るまでは決して食べようとしないので、家族は皆不審に思っていた。
そんなある日、息子の嘉蔵は用事のため庄屋の家へ行き、深夜になってから帰路についた。
すると対面から大勢の声が聞こえてきたので呼びかけると、一丈(約3m)余りの大入道が目を光らせながら現れた。
嘉蔵は驚いたが、犬山城城主(愛知県)・成瀬隼人正から拝領した稀代の一刀(わざもの)を腰に差していたので、鞘を打ち払い大入道に斬りかかった。
すると大入道はそばの松の木によじ登り「“河南の婆”を呼んでこい」と叫んで消え失せた。
嘉蔵は大入道の言葉、そして母みのの不審な言動を思い返し、母は怪物ではないかと疑い始めた。
それからしばらくして、嘉蔵は下女から「みのの手は人間のものではない」と聞き、件の一刀を手に部屋の襖の影からみのの様子を窺った。
するとみのは怪猫のような手をニューと突き出し、むしゃむしゃと魚を貪り喰った。
それを見た嘉蔵は部屋へ押し入り、みのに化けた猫を斬り殺した。
本物のみのは化け猫に喰い殺され、死体は床下に隠されていたという。

『神戸新聞』明治三十四年十一月九日刊「怪談百物語 第五十五席 稀代の一刀(わざもの)」
(元資料『明治期怪異妖怪記事資料集成』)より


「千疋狼」っぽい要素のある話ですが、狼の群れは登場せず、そのため木に登って避けたり狼たちが梯子になって登って来たりという展開はありません。

その他の千疋狼。

ちなみに嘉蔵の刀の目貫には金の鶏の意匠が施されており、大入道に向けて抜刀した時に鶏の鳴き声が聞こえたそうです。


伝承地:丹波篠山市東古佐


鶏塚

鶏塚 (にわとりづか)


① 
昔、源兵衛という男の飼い猫が家出した。
その後猫は女房になりすまして家に戻り、源兵衛を噛み殺す機会を窺っていた。
そしてある日、遂に猫は源兵衛を噛み殺そうとした。
だが家で長年飼われている鶏が大声で鳴いて危機を知らせたため、源兵衛は殺されずに済んだ。
化け猫は鶏を噛み殺し、どこかへ逃げていったという。
この鶏を埋めた「鶏塚」は、知恩寺へ向かう道路のそばの山に祀られている。(『丹後史伝』)

② 
昔、岩滝に病人のいる家があった。
その家で飼っている鶏が毎晩鳴いてうるさいので、桟俵に乗せて海へ流した。
だが後に毒を持つ青とかげが病人の薬を舐めていたことがわかった。
鶏はそのことを家人に知らせていたのだった。
その後、家人は鶏のために「鶏塚」を建立したという。(『おおみやの民話』)

③ 
昔、旅の六部が文殊の海岸を通りかかった時、箱に入れられた鶏が「野田の長兵衛猫がとる」と鳴いていた。
長兵衛の家に行って訳を尋ねると「あの鶏は鳴いて困るから捨てた」という答えが返ってきた。
そこで鳥小屋を調べたところ、青とかげを咥えた猫が米びつの上を飛び回っていた。
猫は毒を持つ青とかげを使い、長兵衛たちを殺そうとしていたのだった。
長兵衛は鶏を連れ戻しに行ったが、既に死亡しており、その場所に「鶏塚」を建てたという。(『おおみやの民話』)

『丹後史伝 史実と伝説 一集』「鶏塚」より
『おおみやの民話』「鶏塚」より


宮津の鶏塚には以下のような伝承もあります。

平安時代、宇多天皇が宇治山から出た金で雌雄の鶏を作らせた。
すると天皇を怨む太子や皇后がこの金鶏を使って呪詛したが、露見して失敗に終わった。
その後、金鶏は藤原氏→足利氏と受け継がれたが、足利義満の時代に賊に盗まれてしまった。
後に賊は捕らえられ、金鶏を隠した場所を自白した。その場所が今の鶏塚だという。(『岩滝町誌』)

他にも、鶏塚は平安時代の歌人・和泉式部の歌集を埋めた所であるとか、除夜の鐘の度に塚から鶏の鳴き声が聞こえるなど、様々な伝承が残されています。(『宮津府志』)


鶏塚
文珠の鶏塚。
知恩寺へ向かう道路脇の林の中にあり、現在はカラフルなお地蔵様(化粧地蔵)が祀られています。


鶏の置物
塚には鶏の置物×2が供えられていました。


伝承地:宮津市文珠


コワ谷の山猫

コワ谷の山猫 (こわだにのやまねこ)


半国山の麓に「コワ谷」という谷がある。
そこに20m程の巨岩があり、その下に沼地が広がっている。
岩の上には大きな松が立っていて、西風が吹くと木の守り主である山猫の鳴き声がするという。

『園部の口碑、伝承 おじいさんたちの話』「泣く山ねこ」より


伝承地:亀岡市東本梅町・半国山


田畑のおばば

田畑のおばば (たはたのおばば)


昔、ある薬屋が粟田から由良へ至る山道を歩いていたが、途中で日が暮れてしまった。
ふと背後から物音が聞こえたので、振り返って見てみると、一頭の狼が後をつけてきていた。
狼は徐々に数を増やしていき、危険を感じた薬屋は近くの木に登って群れを避けようとした。
すると狼たちは、横になった一頭の上に別の一頭が乗り、また一頭がその上に乗る、という形で重なって梯子を作り、薬屋のいる高さまで上ってきた。
だがあと一頭分の高さが足りず、狼たちは「山道の麓に田畑という茶店がある。そこのおばばを呼ぼう」と相談した。
そして“田畑のおばば”という山猫が現れ、狼たちの梯子を登って薬屋に襲いかかってきた。
そこで薬屋は持っていた脇差で山猫を斬りつけると、「ギャッ」という悲鳴を上げて転げ落ちた。
そうする内に夜が明け始め、山猫と狼の群れは逃げ去っていった。
朝になり、薬屋が田畑の茶店へ行くと、店の老婆は頭に包帯を巻いて寝こんでいた。
それを見た薬屋は「昨夜の山猫に違いない」と思い、老婆を斬り殺した。
すると老婆の死体の頭から徐々に耳が生え、二十四時間の内に毛だらけの山猫の姿に変わった。
山猫は本物の田畑のおばばを喰い殺し、成りすましていたのだった。

『宮津の民話 第二集』「ばけ猫のはなし」より


狼の群れが梯子状に重なって樹上に逃げた人を襲うが、あと一頭分届かず仲間を呼ぶ……という流れの話は、いわゆる「千疋狼」と呼ばれるタイプのもので、日本各地に見られる伝承です。高知県の「鍛冶が嬶」などが有名ですね。
丹波・丹後地方には他にも千疋狼の話が伝えられています。


伝承地:宮津市由良


火の形をした小猫

火の形をした小猫 (ひのかたちをしたこねこ)


享保十九年(1734)六月六日、夜半頃から風雨になり、その雲の中に小猫のようなものがいた。
小猫は火のような形をしており、凄まじい声を上げて北東の方へ飛んで行った。
この夜は風雨が家々を打つ音だけでなく、小猫が家屋にぶつかる音も激しく聞こえたという。
この影響で七日の祇園祭は山鉾を包んで巡行し、賀茂川も洪水になったので神輿を三条へ迂回させたという。
あるいは火の玉が飛んでいたとも言われ、あちこちで目撃者がいた。
四条河原の茶屋では、小屋を片づけていた二人が死亡したという。


『月堂見聞集 巻之二十九』より


伝承地:京都市各所


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