丹波・丹後の妖怪あつめ

京都府北部(丹波・丹後地域)の怪異妖怪伝承を紹介するブログです。

神隠し

神隠し

神隠し (かみかくし)


嘉永元年(1848)八月十九日、久美谷村河梨の藤右衛門という男が熊野新宮神社近くの山へ行った。
すると氏神が現れ神社巡礼の旅に誘ったが、藤右衛門は「脚に腫れ物があるのでお供出来ない」と断った。
すると氏神は息を吹きかけて腫れ物を治し、藤右衛門を連れて巡礼に旅立った。
藤右衛門は巡礼の道中で数々の品を貰ったが、帰途でことごとく紛失してしまい、一つも持ち帰ることが出来なかったという。
旅を終え、家に帰った藤右衛門は家人に「翌年もお供する予定だ」と話したが、誰も信用しなかった。
そして翌年の八月十九日、万が一のことを考え、家人は藤右衛門に付き添って川へ行ったが、いつの間にか姿を見失った。
急いで熊野新宮神社に参ると、「三日から三年の間、藤右衛門を借り受ける」という内容の書置きが竹に挟んであった。
驚いた家人は数々の神社に参り、藤右衛門が早く帰宅することを祈り続けた。
すると三日後、藤右衛門はふらりと帰って来たという。

『京都府熊野郡誌』「神かくし」より


藤右衛門は二度目の巡礼に出た際、各地の神社の守札や神の直筆とされる神号、筆、麻製の口覆い(茶壺の口を飾る布)、淨衣のような装束などを持ち帰ったと言われています。
これらの品が現存しているかは不明です。



伝承地:京丹後市久美浜町河梨


神隠し

神隠し (かみかくし)


明治三十五、六年(1902,1903)頃、建部山の頂上に砲台を構築する工事が行われ、近隣の人々も作業に駆り出された。
だが男衆の一人が昼休みに水を飲みに谷川へ降りたきり、姿が見えなくなった。
全員で隈なく捜索したが、まるで神隠しに遭ったような状況で、結局男は見つからなかったという。

『福井百年誌』「喜多に残る奇怪な話」より


ちなみに明治三十八年(1905)十一月十一日の『京都日出新聞』には、
「(前略)今春三月頃には同地近傍中筋村の水島嘉蔵という舞鶴要塞に雇われし職工が建部砲台の作事場にて工作中いつの程にか行方不明となりそのまま今において生死さえ判明せざる珍事あり(後略)」という記事があり、本文の事件の数年後に再び建部山で神隠しが起こったことが書かれています。

この他、建部山には大蛇になった村人の話があります。

また宮津市には、一緒に寝ていたはずの娘が行方不明になった話があります。


伝承地:舞鶴市舞鶴市喜多・建部山



たけ向かいの大蛇

たけ向かいの大蛇 (たけむかいのだいじゃ)


昔、「たけ向かい」という所の松の木に大蛇が棲み、夜になると田畑を荒らし回っていた。
そこである木挽きが大蛇を退治しようと考え、夜にたけ向かいへ行った。
そして木挽きはいびきをかいて眠る大蛇に鉈を突き刺し、そばの松の木を切ってから逃げ出した。
振り返ると、背後は大蛇が苦し紛れに吐く息で真っ白になっていた。
翌日、大蛇はたけ向かいで死んでいたが、木挽きが逃げる時に切った松の木は元通りに生えていた。
するとその後、木挽きの子供が神隠しに遭い、その松の木の下で死体となって発見された。
村人たちは祟りが続くかもしれないと考え、大蛇を祀ったという。

『丹後町の民話』「大蛇退治」より


伝承地:京丹後市丹後町畑


消えた娘

消えた娘 (きえたむすめ)


元禄十年(1697)、宮津藩の大名・阿部正邦が下野国宇都宮(栃木県)へ所領替えになった際、町人の糸屋惣左衛門に家を貸し出した。
ある夜、惣左衛門夫婦は娘と共に寝ていたが、翌朝になると彼女の姿は消えていた。
夫婦は役所へ報告し、人を雇って方々を捜し回ったが、娘の行方はわからなかった。
天狗の仕業とも、所領替えに紛れて藩士がさらっていったとも囁かれたが、その後この娘を見た者はいないという。

『拾椎雑話 巻二十五』「他邦」より


消えた娘は小浜(福井県)の畳屋の娘で、惣左衛門の養子になっていたそうです。


伝承地:宮津市中心部



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