丹波・丹後の妖怪あつめ

京都府北部(丹波・丹後地域)の怪異妖怪伝承を紹介するブログです。

鳴く蝉錠

鳴く蝉錠 (なくせみじょう)


今田の八幡宮社に左甚五郎の作とされる蝉錠(蝉型の錠前)がある。
この蝉錠は季節外れに鳴き声を上げるので、人々は不思議がり稀代の宝として珍重していた。

慶長五年(1600)九月、福知山城主・小野木重勝は細川幽斎を討つべく丹後田辺城へ向けて出陣し、その途中で鍛冶屋村を攻撃した。
ただ一人生き残った女は八幡宮社の社に隠れたが、追っ手に扉の外から刀を五度(七、八度とも)突き通され殺された。
その時、偶然刀が蝉錠に刺さり、それ以来、蝉錠は鳴き声を上げなくなったという。

『豊郷村誌』「八幡宮社」
『あなたの話が聞きたい』「今田八幡宮」より



八幡宮社
八幡宮社は今田町と小西町の境に鎮座しています。
『豊郷村誌』には「社の扉に刺突した時の刀痕が残っている」とありますが、社殿は何度か改修されているため、もうその痕跡は残っていません。
改修の時に撤去されたのか、蝉錠も現存していないようです。


伝承地:綾部市今田町・八幡宮社


毛虫の大坊主

毛虫の大坊主 (けむしのおおぼうず)


嘉永七年(1854)四月六日、御所のある公家の屋敷で奉公していた娘が、主人の留守中に一人で風呂を沸かしていた。
ふと傍らを見ると、三、四寸(約9~12cm)もの大毛虫がいたので、娘は火箸で挟んで風呂の竈にくべた。
すると煙出しから風呂の屋根に上がった煙が、緋色の法衣を着た大きな坊主になり、ピョイピョイと屋根から屋根へと飛び回った。
その大坊主が止まった所からは火が出て、皇宮を始め京の町を焼き尽くす大火事となった。
娘は罪を恐れて古井戸に身を投げたが、空井戸だったため四日後に救出され、失火罪として島流しになった。
だが明治維新で娘は赦免され、出身の浄土寺村へ戻った後、鹿ヶ谷法然院に仕え僧侶の法衣を縫うようになった。
娘は縫い方にわからないところがあれば、鹿ヶ谷村の裁縫の師匠に習いに来ていたが、その時、寺子の娘たちに懺悔話として嘉永の大火のことをよく話したという。

『郷土趣味』3巻9号「京都洛東 鹿ヶ谷雑話」より


伝承地:京都市上京区京都御苑(仙洞御所付近?)


高見の亡魂

高見の亡魂 (たかみのぼうこん)


天正七年(1579)、赤井氏の居城・高見城は明智光秀の火攻めを受け落城した。
城の兵士たちは炎に悶え苦しみ「水をくれ」と叫びながら死んでいったという。

やがて時代は下り、高見城の戦が人々の記憶から薄れていった頃、鴨野の谷川に見たこともないトンボの大群が飛ぶようになった。
透き通るような青味を帯びた胴体に柳の葉に似た羽根をつけ、微かな風にも吹き飛ばされる程弱々しい姿のトンボだった。その数は何十万匹にもなったという。
この群れを見た村人たちは、高見城の兵士がトンボに生まれ変わり、水を求めてやって来たのだと考えた。
そしていつしか、このトンボを“高見の亡魂”と呼ぶようになった。
村の子供たちはこのトンボを見かける度「高見の亡魂、水やるで、消えろ、消えろ」と言いながら、水をかけて追い散らすようになった。
だが現在は一匹も姿を見ることがなくなったという。

『柏原の民話とうた』「糸とんぼ」より


死者たちが虫に転生して戻って来る、という話は福知山市にも伝えられています。
大雲橋のカゲロウ


伝承地:丹波市柏原町鴨野


ドンバ

ドンバ


綾部には“ドンバ”という妖怪がいて、昔から「水遊びに行くとドンバが引っ張る」と言われている。
ドンバとは綾部の方言でアメンボ、またはドンコという淡水魚のことを指すが、その正体はわかっていない。
ドンバについては様々な説がある。

・水中に棲んでいて、人を引っ張り込む河童のようなもの。死神が憑くことを「ドンバが引っ張る」という。
・正体不明の妖怪で、これに引かれて誰かが死ぬと、それから三年、七年、十三年目にもドンバに引かれて死ぬ者が出るという。
・山奥の深い池に棲む大きなアメンボで、水中に人を引っ張り込んではらわたを食べるという。
・池や沼の底にはドンコが化けた大きな婆が棲んでいて、水遊びに来た子供の足を引っ張るという。 

『近畿民俗』第49号「虫と民俗 -虫との付き合い-」
『近畿民俗』第98号「方言語源考」より


河童、アメンボ、淡水魚……と正体がバラバラの不思議な妖怪です。
「水中に棲んでいて人を引きずり込む」ということから考えるに河童が一番近いような気がしますが、個人的にはアメンボの妖怪説が好みです。
「はらわたを喰らう大きなアメンボの妖怪」ってインパクトがすごいので。

大雲橋のカゲロウ

大雲橋のカゲロウ (おおくもばしのかげろう)


昔、北有路の阿良須城と南有路の引地城が、由良川の水利権を巡って合戦をした。
その戦は僅か一日で決着がつき、阿良須側の勝利に終わった。
それ以来、毎年城が落ちた日の夜になると、合戦で死んだ人々がカゲロウ(白い蛾とも)になって姿を現し、北有路と南有路に架かる大雲橋付近で戦を始めるという。
その数は夥しく、提灯の火が消えるほどの大群が集まってくるという。
翌日になると、大雲橋の上は一夜にして死んだカゲロウの死骸で埋め尽くされる。
不思議なことに、死骸の数は橋の南側、引地城に近い方が多いと言われている。

『大江町風土記 第2部』「死んだ人が蛾になって出るはなし」
『大江町誌 通史編上巻』「第2章 大江町の山城 (十三) 南有路城と引地城」
『京都 丹波丹後の伝説』「大雲橋の蛾」より


カゲロウの成虫はわずか一日で死んでしまうので、それと戦の死者をリンクさせて生まれた話なのかもしれません。
山形県には「合戦の死者が蛍に転生してまた戦いを始める」という、似たような話が伝わっています(『東北怪談全集』)。

どうでもいい補足ですが、カゲロウたちの戦場となる大雲橋は昭和二年に完成した橋で、合戦当時にはありませんでした。
あと、引地城とは南有路城の出丸に当たる城(砦?)で、城主は矢野五郎右衛門(『田辺旧記』)という人物だったそうです。阿良須城の城主は不明。

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現在の大雲橋(福知山市大江町南有路)

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