丹波・丹後の妖怪あつめ

京都府北部(丹波・丹後地域)の怪異妖怪伝承を紹介するブログです。

蜘蛛

市野々の土蜘蛛 / 大蜘蛛

市野々の土蜘蛛 / 大蜘蛛(いちのののつちぐも / おおぐも)


市野々の八幡神社境内に大きな洞穴があり、そこに土蜘蛛が棲んでいた。
土蜘蛛は毎日里へ出ては人々を苦しめていたため、薬師如来が退治に向かった。
薬師如来によって土蜘蛛は西へと追い立てられ、味間村を経て氷上郡の阿草(丹波市山南町)まで逃げたが、矢で足を一本射落とされて動けなくなった。
その後、薬師如来は播磨国へ向かったという。
現在も八幡神社境内には、土蜘蛛の棲み家だった洞穴が残されている。(『篠山町百年史』)

『山南町誌 第二巻』にも同じものと思われる伝承がありましたので続けて紹介します。

昔、市野々の八幡神社境内の洞穴に大きな蜘蛛がいた。
大蜘蛛は大勢の家来と共に毎夜田畑を荒らし回り、庄屋に年に一度村の娘を差し出せと言って村人たちを苦しめていた。
そこで薬師如来が村人を救うため、大蜘蛛を洞穴から誘い出して攻め立てた。
大蜘蛛は篠山川に沿って鞍が渕(丹波市山南町阿草)まで逃げたが、そこで矢を足に受けて動けなくなった。
大蜘蛛はこれまでの悪行を謝り、加古川(兵庫県南部)の方へ逃げて行ったという。

『篠山町百年史』「蜘蛛退治」
『山南町誌 第二巻』「大くも川と鞍が渕」より


土蜘蛛(大蜘蛛)が棲んでいた所は「大芋(おくも)」、近くを流れる篠山川は「大雲川(大蜘蛛川)」とも呼ばれています。


八幡神社洞穴
丹波篠山市市野々の八幡神社。
社殿のすぐ右にあるのが土蜘蛛が棲んでいたという洞穴。

鞍が渕
丹波市山南町阿草の篠山川(鞍が渕)。
逃げた土蜘蛛はこの辺りで足を射られたそうです。


伝承地:丹波篠山市市野々


高城城の蜘蛛

高城城の蜘蛛 (たかしろじょうのくも)


昔、ある男が猪倉集落のお八重という娘の元へ毎晩のように通って来ていた。
お八重は男が戸や障子を開けずに部屋に現れることを不思議に思っていたが、立派な風貌だったため特に怪しむことはなかった。
やがてお八重は妊娠し、両親の知るところとなった。
驚いた両親がある法師に相談すると、相手の男は高城城の主の蜘蛛だということがわかった。
その後、お八重は子供を産んだが、腹からタライ三杯分もの女郎蜘蛛が這い出して来たため、そのまま死んでしまったという。

『口丹波口碑集』「蜘蛛の話」より


タライ三杯分の蜘蛛がわらわらと出て来るシーンを想像すると寒気がしますね。
ちなみにこれは「蜘蛛聟入」系の話で『日本昔話大成』にも収録されています。




大唐内の大蜘蛛

大唐内の大蜘蛛 (おからちのおおぐも)


昔、大唐内の山奥に大蜘蛛が棲んでおり、田畑を荒らし若い娘をさらい、村人を困らせていた。
そこで村人たちは有安村の弓の名人・藤元善右衛門に大蜘蛛退治を依頼した。
善右衛門は水垢離をして成功を祈願した後、大蜘蛛の棲む谷へ向かった。
だが大蜘蛛は善右衛門の気配を感じても恐れる様子はなく、谷を跨いでじっと見下ろしていた。
そして善右衛門は大蜘蛛に狙いを定め、僅か一矢でこれを退治した。
大蜘蛛退治の報を聞いた村人たちは大変喜び、村を挙げての祭が三日三晩続いたという。
それ以来、毎年十月一日には有安から善右衛門の一族を招き、彼の好物だった甘酒を振る舞う「甘酒講」が行われるようになったという。

『ふるさとのかたりべ』「大唐内の大グモ退治」
『綾部の伝説・民話』「大唐内の甘酒講」より


『丹波志 何鹿郡之部』では「昔、奥の山に人を取る大蜘蛛が棲んでいたが、草壁村に住む高野聖が祈祷により退治した」とあり、同じ大蜘蛛退治譚でも内容が微妙に違っています。


伝承地:綾部市老富町


丸塚の化け蜘蛛

丸塚の化け蜘蛛 (まるづかのばけぐも)


日暮れになると、丸塚(故屋岡町)の道に怪物が出るという噂が流れていた。
ある日、度胸のある村の若者が噂の怪物を見てみようと、深夜に丸塚へ行って煙草を吸いながらその出現を待っていた。
すると、山の方からパラパラと土が投げかけられてきた。
若者は動じることなく煙草をふかしていると、やがて土は止み、今度は一匹の蜘蛛がスルスルと下りて来た。
蜘蛛は若者の足に糸を引っかけると、再びスルスルと上って行った。
次の瞬間、若者の足にかけられた糸が、すごい力で上へと引かれだした。
若者は手にした鉈で力任せに糸を切ると、怪物は鋭い悲鳴を残して逃げて行った。

翌朝、村人が丸塚へ行くと、そこには血塗れの狸の尻尾が落ちていた。
村人は狸の尻尾をその場に埋め、小さな祠を建てて山の守り神として祀り始めたという。
毎年十二月十日を山の神の祀り日と定め、現在でも講を続けているという。

『ふるさとのかたりべ』「山の神」より

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