丹波・丹後の妖怪あつめ

京都府北部(丹波・丹後地域)の怪異妖怪伝承を紹介するブログです。

赤井直正

葦原の白蛇

葦原の白蛇 (あしはらのしろへび)


天正三年(1575)九月十九日、黒井城の城主・赤井直正は丹波に侵攻した明智光秀軍と交戦していた。
やがて赤井軍は退却を装い、明智軍を黒井の葦原の沼地に誘い込んで一気に殲滅しようとした。
するとその時、黒井城から放たれた伝達の矢文が葦原の中に落ちた。
両軍は矢文を得ようと葦原の中へ入って探したが、どこにも矢文はなく、踏み荒らされた葦の上に真っ白な蛇がうずくまり、明智軍に向かって鎌首をもたげていた。
白蛇に驚いた明智軍は逃げ出し、赤井軍は「これこそ明神の化身に違いない」と士気を上げた。
そして赤井軍の猛攻により明智軍は壊滅し、光秀は近江の坂本城まで敗走した。
その後、赤井軍は白蛇が現れた葦原に、葦原明神の祠を建てたという。
この祠には、代々白蛇が棲むと言われている。

『春日町誌 第四巻』「黒井の葦原明神」より


葦原明神の祠
葦原明神の祠。
工場と住宅の間の狭い路地にひっそりと祀られています。
おもちがお供えされていました。


伝承地:丹波市春日町黒井

的場稲荷の怪物

的場稲荷の怪物 (まとばいなりのかいぶつ)


天文(1532~1555)の頃、黒井の東外れにある的場稲荷神社の森に、夜な夜な怪物が出ると噂されていた。
ある夏の夜、七歳の赤井直正(幼名・才丸)は、その怪物を倒すため一人で神社に向かった。
すると四ツ刻(夜十時)を過ぎた頃、凄まじい家鳴りと共に、目を爛々と輝かせた異様の怪物が闇の中から現れた。
直正は襲いかかる怪物を刀で斬りつけて退治し、翌朝になって確認すると、年を経た貂の死体があったという。

その後直正は勇猛な武将となり、丹波の名号としてその名を天下に轟かせた。
天正三年(1575)、直正は丹波に攻め込んできた明智光秀軍を黒井城で迎え撃った。
その時、和睦勧説に訪れた使者の堀尾茂助(脇坂安治とも)は、直正の武才に感じ入り、降伏し臣下に加わるよう説得した。
だが直正はその誘いを丁重に断り、的場稲荷で退治した貂の皮を贈ったという。

『由緒を尋ねて』「赤井直正の墓」より


赤井(荻野)直正は戦国時代の丹波国の武将で、武勇に優れていたことから「丹波の赤鬼」と呼ばれ恐れられていました。
ちなみに直正が斬った怪物の正体は、貂ではなく石仏だったという話も伝わっています。(『春日町誌』)


伝承地:丹波市春日町黒井(的場稲荷神社の位置は不明。黒井城にあった神社?)


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