丹波・丹後の妖怪あつめ

京都府北部(丹波・丹後地域)の怪異妖怪伝承を紹介するブログです。

超人

尺八を封じた和尚

尺八を封じた和尚
(しゃくはちをふうじたおしょう)


昔、ある虚無僧が荒山村の寺を訪れ、尺八も吹かずに昼食を求めた。
和尚は虚無僧の無作法な態度に腹を立てながらも、怒りを抑えて昼食を用意した。
虚無僧は昼食を待つ間、「自分は三寸(約9cm)の厚みのある物でも見抜き通せる技がある」と自慢していた。
そこで和尚は食事の膳の裏側に箸を貼り付けて虚無僧に差し出した。
それと知らずに虚無僧が箸を要求すると、和尚は「貴僧は三寸の厚みの物を見抜けると言っていたではないか」と嘲笑い、箸は膳の裏側にあると教えた。
すると虚無僧は顔を汗塗れにし、食事をするどころか挨拶もそこそこに寺を辞した。
気を良くした和尚は昼食をとろうと思い、湯を汲みに行ったが、何故か茶釜の蓋が取れなくなっていた。
和尚は「先程の虚無僧が腹いせに茶釜の蓋を封じたのか」と憤り、報復に虚無僧の尺八を封じる呪文を唱えた。
すると間もなく虚無僧が舞い戻り、「尺八が急に鳴らなくなった。尺八が鳴らなければ虚無僧として生きていけないので今日限り辞める。鳴らない尺八も不要になったのでこの寺に寄付していく」と言って立ち去ったという。

『丹後の伝説 ふるさとのはなし』「由緒ある「尺八」について」より


峰山町荒山の菩提寺(少林寺?)には、この虚無僧が置いて行った尺八が寺宝として所蔵されているそうです。


伝承地:京丹後市峰山町荒山


不思議な力を持つ上﨟

不思議な力を持つ上﨟 (ふしぎなちからをもつじょうろう)


天正七年(1579)、高見城は明智光秀の軍勢に攻められて落城した。
その時、ある上﨟(身分の高い女性)は戦火に紛れて草部まで逃れ、前田という家に身を寄せた。
上﨟は婦人病を治すなどの不思議な力を持っており、村人たちから敬愛されていたという。
死後は手厚く葬られ、彼女の墓はいつしか「上﨟墓」と呼ばれるようになった。

『山南町誌』「上﨟墓のいわれ」より


上﨟墓は「リンクス山南ゴルフ倶楽部」というゴルフ場の敷地内にあったそうです。(現在はゴルフ場は廃業、墓の所在も不明)


伝承地:丹波市山南町草部


山崎兵左衛門

山崎兵左衛門 (やまざきひょうざえもん)


丹波亀山藩の剣術師範、山崎兵左衛門は不思議な術の使い手で「虻に変化して日帰りで江戸に行った」「虻になった時、左官に壁の中へ塗り込められて苦しんだ」などの逸話があった。

享保八年(1723)、大和国郡山の藩主が殺した白狐に祟られて発狂し、家名は断絶した。
翌年、亀山藩が郡山城の在番(無主の城を管理する仕事)に命じられ、城を受け取ることになった。
だが郡山藩は亀山藩を小藩と侮り、なかなか城を明け渡さなかった。
この時、兵左衛門は一人で城に乗り込むと、術を使って城兵を眠らせ、その間に城内のあちこちに「潔く城を明け渡せ」と書いた紙を貼って回った。
目を覚ました城兵たちは「亀山藩にはバテレン(西洋の魔術?)を使う家臣がいる」と恐れ戦き、直ちに城を明け渡したという。
亀山藩の藩主は兵左衛門の豪胆を讃え、感状を送ったという。

『丹波の伝承』「虻になった兵左衛門」より


『藩史大事典 第五巻 近畿編』を調べてみると、丹波亀山藩の剣術指南役の項に「中条流・山崎兵左衛門」の名前が見られます。
このことから兵左衛門は実在の人物だったと考えられますね。バテレンが使えたのかどうかはわかりませんが。
ただ『ふるさと大和郡山歴史事典』には「郡山藩の本多家が断絶した後、郡山城の在番になったのは丹波篠山藩の松平氏」とあり、丹波亀山藩は郡山城受け取りに関わっていません。
そうなると丹波亀山藩の剣術指南役の兵左衛門も城受け取りには関わっていないということに……。
バテレン剣士兵左衛門の活躍劇はいったいどこの城で披露されたものなのでしょう。

伝承地:亀岡市



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