丹波・丹後の妖怪あつめ

京都府北部(丹波・丹後地域)の怪異妖怪伝承を紹介するブログです。

鯰ヶ淵

鯰ヶ淵 (ねんがぶち)


今回は、かつて久美浜の畑集落にあった“鯰ヶ淵”にまつわる話をまとめて紹介します。

昔、畑集落の街道沿いに「鯰ヶ淵」という淵があった。
ある男が伊勢参りの途中、鯰ヶ淵で又右衛門と名乗る男に出会い、二人で参詣することにした。
だが不思議なことに、又右衛門は道中の宿に泊まっても、決して風呂に入らなかった。
そして伊勢参りを済ませ再び鯰ヶ淵まで戻って来ると、又右衛門は男に別れを告げ、鱗皮の財布を渡して忽然と姿を消した。
又右衛門は鯰ヶ淵の主の大鯰だったという。(『熊野郡伝説史』)

昔、鯰ヶ淵に「又右衛門」と「いと」という大鯰の夫婦が棲んでいた。
ある日、村の男が大雨で崩れた土手の様子を見に行くと、荒れた田圃の水溜まりに大鯰が流れて来ていた。
男は大鯰を捕まえ、籠に入れて出石(兵庫県豊岡市)へ売りに行こうとした。
ところが鯰ヶ淵の前を通った時、淵から「いと、どこへ行く」という声がした。
すると大鯰が「ああ、私は出石へ行くんだなぁ」と言って籠から飛び出し、淵の中へ姿を消したという。(『久美浜町の昔話』)

鯰ヶ淵はどれだけ日照りが続いても、決して涸れることがなかったという。
ある年、村が旱魃に見舞われ、人々は鯰ヶ淵の水を汲み出して使おうと考えた。
ところが水を汲み出している途中、村に火の手が上がったので、人々は急いで現場へ駆けつけた。
だがどこにも火事の痕跡はなく、不思議に思いながら戻ると、淵は再び満々と水を湛えていた。
その後もそれが何度も繰り返されたので、人々は怖くなり、誰も淵に手をつけなくなったという。(『京都府熊野郡誌』)

『熊野郡伝説史』「鯰ヶ淵(川上村)」
『久美浜町の昔話 ふるさとのむかしばなし』「鯰が淵の話」
『京都府熊野郡誌』「鯰ヶ淵又右衛門」より


①は『久美浜町の昔話』にも載っていますが、こちらでは「又右衛門は伊勢参りの道中、猫のいる宿には絶対に泊まらなかった」というエピソードが追加されています。猫に食べられるから?
②はいわゆる「物いう魚」タイプの話で、他の地域にも類話があります。
ものを言った大魚(丹波篠山市)
③は久美浜町油池に同じタイプの話があります。

ちなみに鯰ヶ淵は『京都府熊野郡誌』では「まなずがぶち(なまずがぶちの誤記?)」、『久美浜町の昔話』では「ねんがぶち」と書かれ、それぞれ読み方が違っています。(『熊野郡伝説史』は振り仮名なし)
正しい読みがわからなかったので、とりあえず当ブログでは「ねんがぶち」を採用しました。


伝承地:京丹後市久美浜町畑(鯰ヶ淵は現存していない)


みこし岩の大鯰

みこし岩の大鯰 (みこしいわのおおなまず)


佐々江の明日ヶ谷の神社から五丁(約545m)程の所に「みこし岩」という岩がある。
昔、明日ヶ谷の神社の祭が行われた時、神輿をこの岩の上で休ませた。
ところが岩の下に棲む大鯰が神輿が重いと怒り、大暴れした。
すると暴風雨が起こり、神輿は流されてしまったが、川下の田原村で拾われた。
そのため、田原の多治神社には神輿が二基あるという。

『ふるさと口丹波風土記』「みこし岩(船井日吉町中佐々江)」より


伝承地:南丹市日吉町佐々江


弁天井戸の鰻

弁天井戸の鰻 (べんてんいどのうなぎ)


中世木の大山祇神社の境内には「弁天井戸」という井戸がある。
井戸には耳の白い鰻が棲んでいるが、いつも井戸底にいて滅多に姿を見せない。
この鰻が水面に顔を出した時は、必ず雨が降ると伝えられている。

『丹波の伝承』「弁天井戸の鰻」より


伝承地:南丹市日吉町中世木・大山祇神社


魚に憑かれた男

魚に憑かれた男 (さかなにつかれたおとこ)


ある年の春、繁という男が夜中に曼陀羅口という所を通ると、川の中から賑やかな声が聞こえてきた。
見ると、知人の男二人が川に浸かり「鯉がいる」「いや大鯰だ」と言いながら、ずぶ濡れの姿でバチャバチャと魚を追いかけ回していた。
だが川には切り株が浮いているだけで魚影は見えなかった。
繁が「鼬に化かされたんだよ」と言うと、二人は渋々川から上がって来て大笑いしたという。

また昭和の頃、おトラという老婆がよその家で風呂に入り、帰ろうとして外に出た途端「帰り道がわからんわいやー」「鼬に化かされたわいやー」と大声で喚きながら、家の裏をグルグル回っていたことがあったという。

『丹後の民話 第四集 ふるさとのむかしばなし』「魚に憑かれた男」より


まだ耕地整理が進んでいない頃、竹藤地区の川のあちこちに深い淵があり、大鯰やタライ一回り半もある真っ白な鰻などが棲んでいたそうです。


伝承地:京丹後市久美浜町竹藤


片眼の魚

片眼の魚 (かためのさかな)


目谷山の麓の池には片眼の魚が棲んでいるという。
また、この池に魚を放しておくと片眼になるとも言われている。
これは天正十年(1582)、新治城の合戦時に弓矢で片眼を射られた侍が、この池で眼を洗ったからだという。

『峰山郷土史 下』「新治城」より


南丹市には、山の神に供えた鮒がいつの間にか片眼になっているという話があります。


伝承地:京丹後市峰山町新治(池の位置は不明。現存していない?)


ものを言った大魚

ものを言った大魚 (ものをいったたいぎょ)


当野の山の上に池が五、六面あり、それぞれに主と呼ばれる生き物が棲んでいた。
ある時、当野村の「榧の木」という家の若者が、山の上の池に行って主の大魚を捕まえた。
若者は喜び、「帰って味噌汁にして食べよう」と呟きながら家路を急いだ。
その途中、ある池の横を通り過ぎようとした時、「金剛寺さん、どこへ何しに行かれるのですか」と、池の中から声がした。
すると大魚が「当野の榧の木へ味噌汁を吸いに行く」と答えた。
若者は大変驚き、帰宅してからも数日間は起き上がれなかったという。
この時、池から声をかけたのはそこに棲む主で、若者が捕まえた大魚は三田の奥山(兵庫県三田市上本庄)にある「金剛寺池」の主だったと言われている。

『たんなんの民話と伝説』「ものを言った大魚」


これは『日本昔話大成』でいうところの「物いう魚」タイプに分類される話で、他にも京都市や京丹後市などに伝えられています。
『郷土の民話(丹有編)』にも同じ話がありますが、大魚が金剛寺池の主だという記述は見られず、大魚を獲った帰りに声をかけるのも池の主ではなく、若者の友人となっています。
(友人が大魚を持った若者に「どこへ行く」と尋ねる→大魚が「当野の榧の木へ味噌汁を吸いに行く」と答える→若者ビックリ)
ちなみに『多紀郷土史考・下巻』によると、この大魚の正体は語り部によってまちまちで、鯉、鱒、または「ぬすんこ」などと言われているようです(「ぬすんこ」が何なのかは不明。魚の方言名?)。


伝承地:丹波篠山市当野(三田市上本庄)


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