丹波・丹後の妖怪あつめ

京都府北部(丹波・丹後地域)の怪異妖怪伝承を紹介するブログです。

鶏塚

鶏塚 (にわとりづか)


① 
昔、源兵衛という男の飼い猫が家出した。
その後猫は女房になりすまして家に戻り、源兵衛を噛み殺す機会を窺っていた。
そしてある日、遂に猫は源兵衛を噛み殺そうとした。
だが家で長年飼われている鶏が大声で鳴いて危機を知らせたため、源兵衛は殺されずに済んだ。
化け猫は鶏を噛み殺し、どこかへ逃げていったという。
この鶏を埋めた「鶏塚」は、知恩寺へ向かう道路のそばの山に祀られている。(『丹後史伝』)

② 
昔、岩滝に病人のいる家があった。
その家で飼っている鶏が毎晩鳴いてうるさいので、桟俵に乗せて海へ流した。
だが後に毒を持つ青とかげが病人の薬を舐めていたことがわかった。
鶏はそのことを家人に知らせていたのだった。
その後、家人は鶏のために「鶏塚」を建立したという。(『おおみやの民話』)

③ 
昔、旅の六部が文殊の海岸を通りかかった時、箱に入れられた鶏が「野田の長兵衛猫がとる」と鳴いていた。
長兵衛の家に行って訳を尋ねると「あの鶏は鳴いて困るから捨てた」という答えが返ってきた。
そこで鳥小屋を調べたところ、青とかげを咥えた猫が米びつの上を飛び回っていた。
猫は毒を持つ青とかげを使い、長兵衛たちを殺そうとしていたのだった。
長兵衛は鶏を連れ戻しに行ったが、既に死亡しており、その場所に「鶏塚」を建てたという。(『おおみやの民話』)

『丹後史伝 史実と伝説 一集』「鶏塚」より
『おおみやの民話』「鶏塚」より


宮津の鶏塚には以下のような伝承もあります。

平安時代、宇多天皇が宇治山から出た金で雌雄の鶏を作らせた。
すると天皇を怨む太子や皇后がこの金鶏を使って呪詛したが、露見して失敗に終わった。
その後、金鶏は藤原氏→足利氏と受け継がれたが、足利義満の時代に賊に盗まれてしまった。
後に賊は捕らえられ、金鶏を隠した場所を自白した。その場所が今の鶏塚だという。(『岩滝町誌』)

他にも、鶏塚は平安時代の歌人・和泉式部の歌集を埋めた所であるとか、除夜の鐘の度に塚から鶏の鳴き声が聞こえるなど、様々な伝承が残されています。(『宮津府志』)


鶏塚
文珠の鶏塚。
知恩寺へ向かう道路脇の林の中にあり、現在はカラフルなお地蔵様(化粧地蔵)が祀られています。


鶏の置物
塚には鶏の置物×2が供えられていました。


伝承地:宮津市文珠


福岩

福岩 (ふくいわ)


余部上の榎川の上流に“福岩”という上部が平らになった大岩がある。
元旦に羽織袴の礼装でこの岩に座り、真下から鶏の鳴き声が聞こえれば家内安全、幸運が舞い込んでくると言い伝えられている。
どれだけ座り続けても鳴き声が聞こえなければ駄目で、親を大切にし、全ての人に愛を施す人には聞こえるという。
そして福岩の陰には夫婦の鶏が棲んでいたという。
田畑へ出かける農家の人が福岩を通り過ぎる時、岩に棲む鶏の鳴き声を聞くと豊作になり、幸運が舞い込むとも言われている。

『舞鶴の民話 第二集』「福岩(中舞鶴)」
『郷土研究』7巻2号「丹後舞鶴できいた昔話」より


伝承地:舞鶴市余部上(福岩の位置は不明)


大きな鶏

大きな鶏 (おおきなにわとり)


昔、瀬崎で鯛が不漁になり、村人たちの生活が立ち行かなくなった。
そこで村人たちは飼っている鶏を殺し、その肉を餌にして釣りをしてみた。
するとまた鯛が釣れるようになったので、それからは鶏肉を餌にして釣りをするようになった。
ある日、まだ深夜にも関わらず、家々の鶏たちが一斉に鳴き出した。
時計がなかった時代なので、村人たちは毎朝鶏の鳴き声を合図に漁へ出ていた。
この日も村人たちは朝が来たと思い、鯛釣りに出かけたが、魚は一匹も釣れなかった。
そうしている内に海が荒れ始め、舟は沖へと流されて行った。
すると舟の前に、羽を広げた大きな鶏が現れた。大鶏の胸は開かれ、赤い肉が覗いていた。
そして村人たちは荒れ狂う海の中へ、舟ごと引き込まれて行った。
その時、村の鶏たちが「おもいしったかーこけこっこー」と一斉に鳴いたという。
これは鶏を殺して餌にした罰が当たったのだと言われ、以来、村では鶏肉で魚を釣ることを禁じたという。

『舞鶴の民話 第三集』「赤だいつり(瀬崎)」より


伝承地:舞鶴市瀬崎


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